インドネシア株式会社法 その1〜総則

今回から複数回にわたって、インドネシアの株式会社に関する法律について概要を紹介いたします。

 

今回は第1章の総則部分についてですが、その前に、より総論的な説明を少しさせていただきます。

インドネシアでは、2007年にLaw no.40 year 2007 dated August 16(以下、「株式会社法」と言います。)が制定されました。

こちらがその英訳版として出版されているものです。

但し、表紙に記載されているのは商法で、株式会社法とは別の法律です。

 

なお、株式会社法も10年以上経過しており、設立時の申請方法の電子化など、制定当初から改正も行われておりますが、今回はこちらの本に記載されている条文の範囲のみでのご紹介ですので、予めご了承ください。(日本にいた頃は、毎年六法を買い換えさせられることに多少の苛立ちを覚えておりましたが、今となっては非常に感謝しております。。。)

また、外国企業には内資企業とは別に様々な規制が課されておりますので、個別の案件については必ず専門家にご相談いただきますようお願い申し上げます。

 

 

さて、日本では旧商法の大部分が会社法に移行されましたが、インドネシアでは、むしろ株式会社の組織関係に関する規定だけが株式会社法として取り上げられています。ちなみに、株式会社以外の法人形態は、民法及び商法にそれぞれ規定されています。

 

今回取り上げるのは、第1章の総則(第1条〜第6条)です。

第1条

この法律で用いられる様々な用語の定義が記載されております。この辺りは日本と同じですね。(といっても日本の法律は大体の場合、第1条は法律を制定した目的・趣旨が規定されているため、定義は第2条になりますが。)

本条で列挙されている用語は次の通りです。(番号は条文内の項番号です。)

1  株式会社

2  機関

3  社会・環境活動

4  株主総会

5  取締役会

6  コミサリス会(日本の監査役に類似)

7  公開会社(Listed company)

8  大会社(Public Company)

9  吸収合併(Merger)

10 新設合併(Consolidation)

11 買収

12 分割

13 書留郵便

14 新聞

15 日

16 大臣

 

各用語の説明は当該用語が出てくる章で併せて説明したいと思いますので、ここでの言及は2点に留めたいと思います。

まずは、第1項の「株式会社」について。 基本的な考え方は日本と同じなのですが、大きく違うのは、法律上「契約に基づいて」設立される必要がある点です。つまり、契約は2名以上で行うものですので、株主も必然的に2名以上いて初めて会社を設立できることとなります。

次に、「公開会社」について。先に紹介した本の英訳が非常に紛らわしいのですが、「Public Company」とされている第8項に規定される会社は、資本市場法令に定められる払込済資本金額及び株主数を満たさなければなりません。規模に注目している点で日本の「公開会社」とは異なるので、便宜上「大会社」という用語を今後は用います。これに対し、「Listed Company」とこの本では訳されている第7項の会社が日本でいう公開会社に近い概念ですので、「公開会社」と今後は呼ぶことにします。

 

第2条

本条は、会社の規則や社会秩序・モラルに反しない設立趣旨、目的、そして事業内容を定めるべきことが規定されているシンプルな条文です。

 

第3条

本条には株主有限責任が規定されております。すなわち、株主は、会社の債務・損失につき、払込資本以上の個人的責任を負いません(第1項)。但し、次の4つの例外(第2項)があります。

  •  会社が法人としての要件が具備されていない場合
  • 直接・間接問わず、個人的利益のために悪意で会社を搾取した株主
  • 会社の違法行為に関与した株主
  • 直接・間接を問わず、会社資産を違法に利用し、その結果会社の責任資産を不足させることに関与した過分

 

第4条

 この法律、定款、その他規則が会社に適用される旨が規定されています。

第5条

本条は会社の住所に関する規定です。会社は、その名称とインドネシア国内に本店所在地を有することを定款で定め(1号)、本店所在地に従った住所を有し(2号)、会社が行う書面による通知、公告、印刷物、会社が一方当事者となる証書は、完全な住所と名称が記載されていなければなりません(3号)。

 

第6条

会社は、定款で定められた期間内で存続します。但し、無期限と記載することも可能です。

 

以上が第1章の総則でした。次回は第2章の中から第1節会社設立についてご説明したいと思います。ではまた次回!

 

※本ブログ記載内容は筆者個人の見解であり、所属する法律事務所の見解ではございませんので、何卒ご了解ください。

※個別の案件につきましては、必ず別途、弁護士など等法律の専門家に個別にご相談ください。

 

 

 

インドネシアでの登山

本来、今回は私が在籍しているインドネシア大学で開催予定であった、某外部団体の調停制度に関するカンファレンスについて報告するつもりだったのですが、予定を変更して先週末に行ったインドネシアでの初登山について書きたいと思います。

というのも、上記カンファレンスに指定時間・場所通りに暑い中スーツを着て行ってみたのですが誰もおらず。。。主催者側に連絡したところ、場所を1時間程離れた違う所に変更したとのこと。メールで連絡したと主張するも、どこを探しても見つからず。。。

インドネシアでの生活を始めて3カ月が経ちますが、今のところ苦労しているのは、この予定が次々と勝手に変更されていくところと、ネット環境の悪さです。

とりあえず、事前に支払った参加費くらいは返して欲しいのですが。。。

ネットについても、マンションを担当していたWi-Fi業者が何の通知もなく撤退して使えなくなったり、携帯電話のネットワークもいきなり使えなくなることなど日常茶飯事です。未だに私の住むデポックでは時々停電がありますしね。

 

さて、愚痴はこの程度にしまして、本題に入りたいと思います。今回は、インドネシア大学(以下「UI」)経済学部の登山サークルの人たち(全員インドネシア人)と一緒にジャワ島中部にあるGunung Cikurayという標高2821mの山に行ってきました。

結論から言うと、日本人にはなかなかタフな旅でした笑

 

そもそもこの件も元々は違う山に行く予定だったのですが、当初予定の山が雷による山火事で行けなくなり急遽変更した形でした。これは不可抗力なので仕方ないですね。

金曜の夕方4時にUI内にある部室のような所に集合します。

 

すぐ出発予定と聞いていたのですが、結局出発したのは6時をだいぶ過ぎた頃でした。

そこからアンコットという乗合ミニバスのようなものを貸し切っていくのですが、普段せいぜい8人乗れば満席という中に、14人とテントを含む大きな人数分のリュックとを無理やり押し込んで、ジャカルタ郊外にあるバスターミナルまで移動します。

これがそのバスです。こちらの見た目は普通なので一安心しました。このバスで5時間ほどかけて登山口の近くまで移動します。

が、しかし、出発から間もなく日本の夜行バスとは程遠い環境に気づきました。何と、売り子があちこちで乗ってきては商品を狭い車内で売り歩くのです。

(乗客のように見えますが、手前の男性は黒いベルトを走行中の車内で売り歩いています。後ろからはカップ麺です。)

ただ、面白いのが、この売り子たちの販売方法です。富山の薬売りと同様、先に商品を全乗客の膝の上に置いて周り、その後、代金か商品を回収して回るという方式なのです。

この方法、確かに商品を手に取るので少しは考える余地ができるのですが、1売り子が1.5往復する上に、通路は人1人通るのがやっとの幅で、必然的に乗客にぶつかりながら歩くことになりますので、おかげで全然寝れません。。。

そんな状況にも耐えつつ、停留所もないコンビニの前で我々は降り、今度はピックアップトラックに乗り込みます。日本ではこれで公道を走ったら完全にアウトですが、インドネシアでは規定が無いグレーゾーンか、信号無視と同様、法規はあるけど誰も気に留めてないというパターンかのどちらかですね。

 

麓の山小屋まで移動し、ようやく2時間ほどの仮眠をとり、朝出発します。

 

5時半に起こされ、7時に出発すると言われたのですが、そもそも準備に1時間半かかることを想定していた割に結局出発したのが9時半という。。。この時間のルーズさには慣れてきたつもりでしたが、日本の登山では考えられないですね(中止にするレベルの出発の遅れです。)。

待っている間あまりにも暇だったので、他に準備を終えた数少ないインドネシア人学生と地元の子供を集めて即席で日本についての授業をやっていました。

ジャワ島の雨季は、以前は9〜10月初めには始まると言われていたようですが、気候変動のせいか、10月中に雨に降られることはほとんどありませんでした。ただ、11月に入りようやく雨季の様相となり、この登山中はほぼずっと雨でした。。

そんな中でもインドネシア人学生たちはポンチョ(しかもビニールでできた簡単なもの)を着ていればいい方で、何も着ずに登る人も多かったです。日本では多少の小雨では傘を差さずに歩き、よく周りから白い目で見られていた私ですが、本降りの雨でも気にしないインドネシア人のタフさには驚愕するばかりです。

 

登山道にバナナがなっているあたりが、インドネシアらしいですね。

あと、インドネシアでは登山の時の行動食がはちみつをそのまま飲むというアグレッシブな方法でした。最初は断っていたのですが、ライムで割ってあるため意外とさっぱりして美味しかったです。日本にも買って帰ろうかな。。

 

 

雨の中登ること8時間(最初の遅刻とタバコ休憩のせいで日没ギリギリでした)、ようやくキャンプ地につき、野営の準備をします。

日が落ちると気温は急激に下がり10度以下になります。乾季だとマイナスになることもあるそうです。どこでも高山が寒いことに変わりはありませんでした。歩いている間は雨に濡れても平気だった学生たちも、着いた後は濡れた体で凍えてました。そりゃそうだろ。。。

 

テントは登山サークルで準備するので大丈夫と言われていたのですが、まさかのキャンプ用テントで、しかも明らかに今いる人数の3分の2程度の定員分しかありません。なるほど、ここでもぎゅうぎゅうに詰められるのですね。。。

 

翌朝も、予定通り予定出発時間から2時間ほど遅れ、再び雨の中を歩いて山頂を目指します。

2821mの山頂では雨は止んでいたのですが、霧で全く何も見えませんでした。。見えるのはゴミだけ。。。

今回の登山から、インドネシアでビジネスする難しいポイントを再認識しました。一つは再三書いた通り時間に全く頓着しないこと。もう一つは、事前に予測して準備を行うことが苦手なことでした。今回も登山に必要なものを平気で持ってきていなかったり、そもそもの計画もざっくりとしたものしかなかったりと、日本では考えられないような感覚でした。インドネシアでもトップの大学の学生でこのレベルなのかと思うと、こういった感覚の人達とどう折り合いをつけていくかが今後の課題です。

ただ、日本に対する興味は大変高く、質問攻めにあう時間も多かったですし、日本企業で働きたいという学生も多いので、これからに期待したいと思います。

色々言いましたが、インドネシア人はとても人懐っこく、よく声をかけてくれて、なんだかんだで仲良く登ることができました。

(何人かは登頂を諦めてテントでタバコ吸って凍えてました。)

 

追伸

帰りのバスで運転手に騙されて、まさかの夜行バスで5時間立ちっぱなしの状況になりそうだったので、無理やり降りてヒッチハイクを始める学生たち。。

この後次のバスが空いていたのでそれで帰りましたが、帰宅時刻は当初の予定から8時間後の月曜朝5時半でした。

もうインドネシア人と一緒に山に行くことはないかな笑

 

ではまた次回!