半年を振り返って

Selamat siang! (インドネシア語でこんにちはという意味です。)

クリスマスも終わり、いよいよ年末年始ですね。

インドネシアではクリスマスに多少の盛り上がりをみせるものの、日本のような年末年始休暇はありません。そのかわり、イスラム教の宗教行事であるラマダン(12ヶ月のうち1ヶ月間行う断食)後にレバラン休暇が1週間近くあります。ヒジュラ暦(イスラム暦)で計算されるので毎年違うのが厄介なポイントです。2020年のラマダン・レバランは4月~5月ですので、その際にこちらの様子をお届けしたいと思います。

さて、今回は2019年最後の更新ということで、来インドネシア半年(正確には4ヶ月半なのですが)を振り返りたいと思います。

1 大学生活

私が参加しているのは主に交換留学生を対象としたプログラムなのですが、私が留学しているインドネシア大学にはインドネシア人学生を対象とした英語での授業が元々あり、それに参加する形式でした。法学部に参加する奇特な外国人は私しかおらず苦労する場面も多かったですが、周りの学生に助けてもらいながらなんとか過ごすことができました。(とは言っても、英語の授業リストのはずがインドネシア語の講義が混ざっていたり、英語と称したほとんどインドネシア語の講義があったりで、やむなく受講停止した科目もありました。。。)

久しぶりの大学(学部)生活は新鮮でしたが、日本とはなにもかもが違いました。

こちらでの生活自体には比較的早い段階で適応したのですが、大学生活に適応するのに費やした半年だったといっても過言ではありません。

第一に、課題・グループワークの量が明らかに異なります。日本の学部に通っていたのが10年以上前なので、これが時代の変化によるものなのか国の違いによるものなのかが定かではないのですが、どの授業もほぼ毎週といっていいほど、レポート課題やプレゼンテーションの課題が出されますので、私のプログラムはそれほど授業単位数が多くないのですが、それでも慣れない作業に四苦八苦する日々でした。

グループワークも多いのですが、昔と違いわざわざあって話し合うのではなく、ドキュメント共有アプリ上で文章やプレゼンテーション資料を作成していくあたりは、どちらかというと時代の問題ですかね。。。

第二に、教授の厳しさと適当さの違いですね。課題提出に関してはやたら厳しいのですが、講義スケジュールはというと、正直に言えば(日本的な観点から言えば)お粗末としか言いようのない状況でした。第一週の講義に緊張しながらクラスに赴いたものの、1クラスを除き参加したすべてのクラスの教授が初日の講義の日時を間違え、休講になったことは特に大きな衝撃でした。。。

突然の休講も頻繁にある(幸にして私は事務課の人と仲良くなったので、前夜に個別に連絡をもらえるようになりましたが)一方で、こちらの大学は休講した分は必ず補講を行うという制度であるため、ただでさえ1コマ2.5時間ある授業を連続して2コマ行うという暴挙もしばしばでした。

日本人にとって、このスケジュールの読めなさはかなり致命的ですが、おそらくビジネス界も似たり寄ったりなのだろうと今から諦めのような覚悟をしております。

それにしても、試験日が1週間前まで分からなかったり、事前に言ってた試験範囲・形式と全く異なる出題をしたり、法律家として「予見可能性」や「公平性」という単語を知らないのか!と言いたくなることも多々ありました。

2 法律

この半年は主に株式会社法を中心に勉強をしておりました。株式会社法のご紹介は来年も引き続き当ブログでご紹介して参ります。

日本企業がインドネシアに進出するには、ほぼ株式会社の形態一択ですので問題ないのですが、こちらでは日本とは異なり、パートナーシップ形態による事業活動も盛んなようです。日本では最低資本金制度が撤廃されたこともあり、わざわざ経営陣(法律的には「社員」といいますが、日常用語の従業員としての意味ではありません。)が無限責任を負う合名会社・合資会社を新規設立することは少なくなったように思いますが、こちらでは未だ最低資本金制度を採用している(インドネシア企業にとっては2019年12月時点のレートで日本円にして10万円程度なのですが。外資企業の資本金規制は全く別のでご注意ください。)ことも一つの要素と考えられます。厄介なのは、日本の合名会社・合資会社と違い、パートナーシップ形態には登記制度もなく法人格が存在しない点です。取引の際はこのような点にも気をつけなければなりません。

また、興味深いですが複雑怪奇なのが「アダット法」です。一種の慣習法なのですが、地域ごとというよりは部族ごとに有しています。アダット法については年明けにもう少し詳しくご紹介する予定です。

受講可能な講義リスト(授業名が書かれた1枚のリストだけを頼りに受講科目を15分で決めさせられました。。。)の中に「conflict of laws」(法の矛盾)という講義名を見て、私はてっきり法律、条例、大統領令、省令の相互矛盾の講義かと思い受講したのですが、実際はは法律、宗教法(主にイスラム法)、そしてこのアダット法の相互矛盾についての講義でした。

期待していた内容とは全く異なるものでしたが、なるほど確かに非常に難しい問題で、興味深い内容でした。そもそも慣習法の性質上不文法であるため、その内容把握が困難であるうえに、法律等との優先関係も不明であることにより複雑さに拍車をかかります。

また法律の内容というよりも、法令調査の難しさにも直面しました。

ごく基本的な法律に関しては英訳が存在するのですが、その英訳も法律事務所等が訳したものですので、正訳ではありません。民法に至っては原文が殖民地時代のオランダ語のままですので、インドネシア人のほとんどが原文の民法を読んだことがない(インドネシア語訳のインドネシア民法で勉強しています)という事態に陥ったままです。このため、少なくともこの半年間の講義では、日本のように条文の「文言」を解釈するような話は聞かないままでした。

日本のような判例データベースが存在しないため、法律解釈論の蓄積がなく、これが裁判での結果の予測可能性を著しく損なわせているように感じます。このあたりとどう折り合いを付けていくかが(現地の法律家がどうしているのかを知るのが)来年以降の私の課題です。

3 語学

インドネシア、特にジャカルタ近郊の学校では英語教育が盛んで、私が所属しているインドネシア大学法学部(の特に英語で講義を受けるコース)の学生はみな英語が堪能で圧倒されました。この前旅行中に出会った14歳の女の子ですら、日常会話にはなんら不自由がないほど英語を使いこなしており驚くばかりです。

このため、大学生活ではほとんど英語で生活していたことから、期待していたほどインドネシア語が習得できなかったのが反省点です。来年はもう少し生活を工夫して、インドネシア語を使用する機会を増やさねば。。。

とはいうものの、旅先で必要なことを片言で伝えられるくらいにはなったので、12月にはスラウェシ島と、そしてコモド島のあるフローレス地方に行ってまいりました。これらに関しては年明けにまたこちらでご紹介したいと思います。

インドネシア語は、世界一簡単な言語と言われ、たしかに文法の複雑さはそれほどないのですが、いくつかの落とし穴があります。

第一に、現地語の存在です。インドネシアには300もの部族があり、部族ごとに独自の言語をそれぞれ使用しています。その数は一説には700言語とも言われており、公式文書は別としても、日常会話では現地語も混ざって会話がなされることも多々あるため、特に聞き取りには困難を極めます。抑揚なく、呼吸をおかずに話し続けますしね。

第二に、略語の存在です。長々と話す割にめんどくさがりのところがあり、会話では略語がとても多く使われます。インドネシア人のグループチャットをみていても、略語が多すぎて全然わかりません笑

第三が発音方法です。特にLとR、FとVが聞き取れません(少なくとも私には)。LとRは日本人と異なり、両方とも巻き舌のように発音し、FとVに至ってはオランダ語のせいか同じ発音なのです。また、Eは、「エ」と発音する場合と、「ウー」(但し口の形は「イ」の形)と読む場合があったり、日本語では「ン」でもインドネシア人は「N」と「NG」で発音を区別しますので注意が必要です。

これらの発音は頻繁に英語でも発動するので注意が必要です。ある日の株式会社法の授業中、株主総会の説明で教授がずっと「フォーティーンライト」と言い続けるので、私はずっと「fourteen rights」(14の権利)があると思っていたのですが、しばらくして「voting right」(議決権)だったことに気がつきました。。VをFと同じように読み、NGを「ン」と発音してしまうとこうなるんですね。。。

第四に文法が簡単ゆえの表現のゆれの多さです。正直に申し上げて、まだその細かいニュアンスを表現する段階には至っていないのですが、文法がないせいで、逆に一つの文章が複数の意味に捉えられることも多いように感じます。よりちゃんと説明しようと思うと、おそらく話がめちゃくちゃ長くなるんですね。

4 文化・生活

この半年間、一番注力してきたのは、インドネシアの文化・生活を体験することでした。インドネシアとひとことで言っても、多民族国家のインドネシアでは全く異なる文化が共存しているため、体験するためには必然的にあちこちに行かざるをえません。

各地域の文化については、これまでも個別にご紹介して参りましたし、これからも別途記事でご紹介する予定ですのでここでの詳述は割愛しますが、インドネシア文化を理解するうえで欠かせないキーワードは「宗教」と「土着文化」の融合だと感じました。

国全体でいえば、人口の約90%がイスラム教徒なのですが、島によってはキリスト教やヒンドゥー教が大半を占める地域も多く存在します。

この国の国是として「多様性の中の統一」という素晴らしい言葉があります。しかし、現在では多数派を占めるイスラム教徒によりこれが侵されようとしている側面があり、今後の注視が必要ですが。

いずれにしても、多様性を基礎として成り立つこの国では各地域の文化・ルールを知ることがインドネシアの方々と仲良くなる一番の近道のような気がしています。

日本では国土全体を表現して「北は北海道から南は沖縄まで」と言うことがありますが、こちらでは「サバンからメラウケまで」といいます。サバンは西の果てのサバン島(津波で有名になってしまった厳格なイスラム教で治められるアチェ州にあります。)、メラウケはインドネシア領パプアの東の町です。東端から西端まではアメリカ大陸より長いので大変ですが、なるべく来年で全国各地を回って各地の生の文化をお届けしたいと思います。

長々と書きましたが、来年も色々書いていきますので、これからもご愛読いただければ幸いです。

それでは皆さま、良いお年を。

ジョグジャカルタ訪問〜その3 最終編

こんにちは!

いよいよ年末が近づいて参りましたね。

インドネシアは年末年始に対する思入れがそれほどないみたいです。キリスト教だとクリスマス休暇からそのまま年末年始への長い休みに突入するイメージがありますが、こちらでは大晦日年明けカウントダウンも一応あるものの、噂によると街中でみんなが好き勝手に花火を打ち上げてそれを眺めるといった代物らしいです。今年は観れないのですが、いつか機会があればその光景もみてみたいですね。

さて、今回はジョグジャカルタ旅の最終編をお送りしたいと思います。

前回、前々回とジョグジャカルタ近郊にある世界遺産をご紹介致しましたが、この街には他にも様々に魅力的な要素が含まれています。

その1つが、バティック。バティックとはインドネシアの伝統衣装を言いますが、ジョグジャカルタはその名産地です。

ジョグジャカルタにはマリオボロ通りという、バティックやその他服が安く大量に売っている有名な場所がありますが、あえてそこを避けて、骨董通り?に行き、その中でも工房を自前で持ってそうな大きめのバティック店を一人でふらっと訪れ、「作ってるとこ見せてくれない?」とお願いしてみると、快く承諾してくれました。

バティックは、ロウで絵付けをして、それ以外の部分を染める染め物です。(ロウの部分は染められません。)

まずは下絵から。

この下絵に沿って、この道具を使いながら小さいボウルに入ったロウで模様を描いていきます。

これがその道具。

これを使って器用に描いていきます。

隙間を塗っていく人も。

 

手書きのほか、スタンプを使うパターンもあります。模様は地域によって異なり、それぞれに意味があります。

描き終わると、今度は染色の過程に入ります。

何度も染色した後、干して乾かせば出来上がりです。

(もちろん出来たのは布なので、この後縫製に入るのでしょうが。)

市販のプリントバティックは1着500円くらいで買えるのですが、このようにハンドメイドは大変な手間がかかるので、販売時は5000円~15000円くらいの値が付けられます。値段は使用した色の数や描く模様の複雑さで変わるようです。

写真でお分かりのとおり、パートごとで分業されています。マニュファクチュアという懐かしい単語が頭の中で響きますね。

なお、このバティックという衣装、インドネシアでは正装なので、バティックを着ていれば大統領にも会うことができます。

 

 

話は変わりますが、ジョグジャカルタではいろんな乗り物があります。

これは観光用の馬車(ジャカルタでもごく一部でみかけますがほとんどないです。)

ベチャという、乗客が前、運転手が後ろで一生懸命自転車を漕ぐ乗り物もあります。

ちなみに、近代化したベチャは後がモーターバイクになっています。

 

また、訪れた日程がムハンマド生誕祭のお祭りウィークでしたので、ジョグジャカルタでもお祭りをやっていました。

ジョグジャカルタは特別州として、今でも独自にスルタン(地域の王様)が在位しており、軍隊もあります。

お祭りのパレードでは、クラトン(王宮)に所属する20以上の軍部隊がそれぞれの衣装を着て行進していました。

お祭りの前にやたら人が歩いてるなと思って話を聞いてみたら、お祭りの一環としてなのか、年に1回のウォーキング大会も併せて?行われていました。

なんでも、運動不足解消のために始められたそうで、多くの地元の方々が参加されていましたが、楽しいですかと聞いたら、着いた後お祭り会場で食べ物がたくさん準備されているそうで。。。

健康ってなんでしょうね。せめて月1回やればと思いますが。。。

夜は、クラトン(王宮)前で、ワヤン・クリッという伝統的な影絵?の生誕祭特別公演をみることができました。

(すみません、ここでのワヤンクリッの公演写真は撮り忘れてしまったので、下の写真は、庶民向けに夜通し行われる月例公演(クラトンの別の広場)でみた際の写真です。)

 

 

特別公演ということで、ジョグジャカルタのロイヤルファミリーもご出席されておられました。

 

この方はプリンセスだそうです。隣のおじさん達に聞いただけなので確証はないのですが。

ジープでムラピ山という中部ジャワきっての山に登りました。

この山、大きな噴火を繰り返しており、現在も山の中腹から上は立入禁止となっています。

形はとても美しい山です。

麓には噴火の被害を残した資料館があります。

ゲートを骨で飾るあたり、さすがです。

 

熱で溶けたテレビは噴火の恐怖を物語っています。

しかし、そんなシリアスな資料が並ぶ中でも噴火した煙で遊ぶ資料館。

インドネシアのこういうところは大好きです。

 

 

以上がジョグジャカルタで訪れた主な場所でした。

この他にも、荒れ狂う海に浮かぶ島に吊橋(渡るだけで1000円近く取られましたが、お兄ちゃんがつきっきりでおもしろ写真を撮ってくれました。SNS好きにはたまらないサービスかもしれません。)で渡ったり、

変な食べ物を食べたり、(インドネシア人は鳥を頭から足まできれいに食べます)

インドネシア人の意外な几帳面さをみたり、

色々な発見がありました。

ただ一番の発見は、中部ジャワ人の人の良さです。

みんなとても親切で礼儀正しく、誠実でした。(一部のベチャの運転手とマリオボロ市場の人は除きます。)

今後もインドネシア各地の情報をお届けしたいと思います。

ではまた次回!

ジョグジャカルタ訪問〜その2 プランバナン寺院群

こんにちは。

私は現在、期末試験という、もはや懐かしい響きのする代物と格闘しております。

なにが大変って、全部英語で試験を受けなければならないので、私にはどの科目も英語の試験でしかない点なのですが、それにまして大変なのが、「コロコロ」変わるというところです。

この国で一番適用するのが難しい文化は、私にとってはこの辺りです。。。始まる前から試験日が二転三転するのは当たり前、当日になっても期末試験の講義の最終日に使っていいと言われた資料が前日になって見てはいけないと言われたり、聞いてた試験日範囲と全然違うところから出題されたり…よく言えば「臨機応変」なのですが、私の頭に浮かぶのは「朝令暮改」の方です。

ビジネスを行ううえでも、最後の最後まで気が抜けないことだけはこの半年でよくわかりました。

さて、今回はジョグジャカルタ旅行・プランバナン寺院群編です。

プランバナン寺院群もインドネシアの世界遺産の1つです。

この留学中に、できればインドネシアある全ての世界遺産を訪問したいと目論んでおります。

プランバナン寺院群はその名の通り、複数の寺院から構成されておりますが、メインはロロ・ジョングラン寺院ですね。前回ご紹介したボロブドゥール遺跡は仏教でしたが、ロロ・ジョングラン寺院はヒンドゥー教です。ただし、プランバナン寺院群には仏教遺跡も含まれており、しかも建築された時代もボロブドゥールと同時期の9世紀頃とみられていますので、この辺りに多様な文化・宗教の共存の歴史をみることができます。

ロロ・ジョングラン(訳すと「細身の処女」だそうです。どういう意味でしょうか、訳しても真意が分からないのは私だけでしょうか。)寺院にはヒンドゥー教の三大神であるブラフマー神、ビシュヌ神、シヴァ神、そしてシヴァ神の妻であるドゥルガー神やシヴァ神の息子のガネーシャがそれぞれ祀られています。でも、見た目的に一番インパクトあるのはやはりガネーシャではないでしょうか。

障害を取り除き、福を招くという神様です。(この神様だけいればいいような気がしてくるのも私だけでしょうか。。。)

 

このロロ・ジョングラン遺跡では、ジャワ島には珍しい(バリ島ではヒンドゥー教が盛んなのと比べて)ヒンドゥー教徒の方々がお祈りする光景に立ち会うことができました。

そして、じっと見ていたら、「お前もやってみるか?」と言われ、そのままエセヒンドゥー教徒となり、お祈りを体験することができました。私が習ったお祈りの仕方はざっくり次の通りです。ちゃんと理解できていたか怪しいので、間違っていたらごめんなさい。

①座禅した状態で合掌した手を頭上にかかげてお祈り。初回だけお祈り用の花を持ちません。

②両手を下ろし、坐禅中の各膝の上にのせて黙想、

③赤または黄色のお祈り用の花を合掌ている両方の中指あたりでつまみ、再び頭上に掲げてお祈り。

④ ②と③を合計4回繰り返す(花なしバージョンも含めて5回)

⑤起立し、神様の足元に両掌と額を押し当て、自分の名前を心の中で呟く。

⑥神様の足元に置いていた水から少しだけ手に取り出し、すする。

⑥神様の周りをお祈りしながらグルグル回る。

これがめちゃくちゃ時間かかりました。なにが長いって、上記①~④を、安置されている全部の神様に行います。

我々がお祈りを捧げている間は、とても他の観光客が安置されている御堂の中に入れる雰囲気ではなく、後ろからずっとカメラで撮られたり見つめられてりしていました。

とても大変でしたが、日本では触れる機会の少ないヒンドゥー教を体験することができ、貴重な時間となりました。

(筆者は左端。他にも2名が参加しました。真ん中のインドネシア人女性はれっきとしたヒンドゥー教徒です。突如のお祈りのせいで、2時間近く非ヒンドゥー教徒の友人を外で待たせっぱなしにすることになりました。)

 

私は時間の関係で(主に2時間近くお祈りに付き合ってたせいで)ロロ・ジョングラン遺跡しか回りませんでしたが、お立ち寄りの際は他の寺院と比べてみるのも面白いかもしれませんね。

次回はジョグジャカルタ旅行の最終編をお送りしたいと思います。

ではまた次回!

ジョグジャカルタ訪問〜その1 ボロブドゥール遺跡編

こんにちは。

12月に入り、ようやく私の住むデポックでも雨季が本格化してきました。しかし、そもそも一般的にはジャカルタ付近の雨季は10月頃から始まると言われていましたので、これも異常気象の一つなのかもしれません。

インドネシアは熱帯性気候に属しますので、雨の降り方はいわゆるスコールのように、1~2時間で、ときに雷鳴とともに空から大粒の雨が襲いかかってきます。だいたい夕方なのですが、時によっては昼間に降ったり、はたまた一日中だったりといろんなパターンがあるそうなので用心しなくてはなりません。特に1月から2月にかけてがピークですので、この時期にいらっしゃる方はご用心ください。

さて、今回はそんな雨季が本格化する前の休みを使って訪れたジョグジャカルタについてご紹介したいと思います。今回はボロブドゥール遺跡編です。

 

ジョグジャカルタはジャカルタのあるジャワ島の中部に位置する場所にあります。

世界遺産であるボロブドゥール遺跡やプランバナン寺院群の最寄りの街としても知られています。

歴史と伝統の都という意味で、日本でいえば京都のようなところです。

ジャカルタからは電車(所要時間約8時間)でも行くことが可能ですが、今回は飛行機(所要時間1時間)で訪れました。

写真

ボロブドゥール遺跡は、イスラム教中心のインドネシアには珍しく仏教遺跡です。8世紀~9世紀頃に建築されたようですが、その後1000年以上に渡り密林と火山灰に埋もれ歴史から消えていたので詳しいことは誰にも分かりません。。。

逆になんで見つかったのかというと、ジャワ島がイギリスの植民地だった時代に知事として来たラッフルズという人が小高い丘と化していたボロブドゥール遺跡を発掘しました。

・・・暇だったんですかね?

(脱線ですが、インドネシアと植民地時代は法律としても切っても切り離せない関係にあります。この辺りもそのうちご紹介する予定ですのでお楽しみに。)

このラッフルズという人、世界最大の花として知られるラフレシアも発見し、その名前の由来となっています。

やっぱり暇だったんですね、知事。

このボロブドゥール、初めて見た感想は、(札幌の時計台を見た時と同じで)「思ったより小さい」でした。

歩いて見て回るだけなら1時間あれば十分でしたが、みな思い思いに写真(といっても、遺跡というより遺跡を背景にした自分の写真)を撮って過ごしていました。

全体は数多くのストゥーパ(卒塔婆)で構成されており、中には仏像が安置されているものもありました。

また、各回廊の壁にはブッダの物語に因んだ彫刻画が施されていました。

 

1つ1つのストーリーは残念ながらわたしには分からなかったですが、当時の文化度の高さに驚かされます。

1000年以上埋まっていたこともあり、現在まで修復作業が続いています。

ただ、修復後?とは思えないような彫刻画も散見されました。

 

 

もうちょっとパズルが得意な人がやるべきでしたね。。。

 

ボロブドゥール遺跡は早朝ツアーに参加して、朝日を頂上から眺めることをオススメします。もちろん頂上から見る朝日が綺麗だというのもあるのですが、一番の理由は人の少なさです。朝日をみるには敷地内にあるホテルのツアー(といっても、ただ敷地内に入れてくれて、終わった後に朝食ビュッフェを食べさせてくれるだけで、なんの案内もしてはくれませんが。)に参加する必要があるので、インドネシア人団体客が皆無という素晴らしい特典があります。

インドネシアの方々は写真が非常に大好きで、外国人(特に色白の)をみるとすぐ写真を撮ってくれと言われ囲まれ、そこに時間と体力をさかれますので団体客を避けることができるかはかなり大きな問題です。日焼けしすぎて現地人と間違えられる私はまだ一度も写真を頼まれたことはないのですが。。。

 

さて、ジョグジャカルタの旅ボロブドゥール編はいかがでしたでしょうか?

次回は、同じく世界遺産のプランバナン寺院群についてご紹介いたします。

それではまた次回!

インドネシア株式会社法 その2〜設立

こんにちは。

光陰矢の如しとはよく言ったもので、あっという間に師走ですね。

私の住むインドネシアでもクリスマスムードが高まってきました。街にはクリスマスソングが流れ、クリスマスセールが行われるのは日本と同じです。但し、気温が夏と変わらないので、全くこちらの気分が盛り上がりません。。。

クリスマスツリーも白っぽくしてあったりと雪感を出そうと努力している様が見受けられるのですが、いかんせんこの暑さでは体感と雪の視覚が全く一致しないのです。

ともあれ、祝日は基本的に国が認める(最近6つになりましたが)5つの宗教に関する行事がベースとなっており、クリスマスも祝日となっているくらい国としては浸透しているようです。

 

 

さて、今日はインドネシア株式会社法シリーズのうち、第2章から設立を取り上げたいと思います。

なお、本ブログ記載の株式会社法は、同法の概説を目的としており(決して条文の完全訳ではありません)、かつ、以前ご紹介した英訳版に則って記載しておりますので、個別の案件につきましては、必ず別途、弁護士など等法律の専門家に個別にご相談ください。

 

 

設立に関する条文はおおよそ次のような構造です。

(各冒頭のカッコ内番号は、特に言及のない限り当該条文の項番号です。)

第7条

⑴会社は2名以上のインドネシア語による設立証書によって設立されなければなりません。インドネシア語というのがかなりのネックですね。また、前回お伝えしました通り、インドネシアでの会社はあくまで契約に基づき設立されるものですので、発起人も当然2名以上となります。

(2) 各発起人は、設立会社の株式を引き受ける義務を負います。このため、原則として株主となりますので、内資・外資を問わず、どの会社も基本的に株主は複数存在しなければなりません。

(3) 但し、新設合併の際は、前項の定めは適用されません。

(4) 会社は、大臣(法務人権大臣を指します。以下同様です。)による設立認可が発行された日より法人格を取得します。

(5)先程、発起人兼株主は2名以上と述べましたが、途中で1名になってしまった場合の対処が規定されています。残された1名の株主は、6ヶ月以内にその保有する株式の一部を第三者に譲渡または新株を発行する義務を負います。

(6)上記6ヶ月を経過した場合、株主は、会社の全ての契約及び損失に関して個人責任を負うことになります。また、利害関係人は地方裁判所に対し、当該会社の解散命令を申し立てることができるようになります。

(7)株主が2名以上という規定も、国有会社等の場合は例外的に適用されません。

第8条

⑴前条第1項にある通り、設立の際は証書によって行う必要があります。この設立証書は、定款及びその他の会社設立に関する情報を記載しなければなりません。

(2) 前条にある「その他の会社設立に関する情報」の詳細が規定されています。

①自然人の発起人の氏名、出身地及び生年月日、職業、住所及び国籍、法人発起人の商号、本店所在地、住所、大臣の設立認可番号及び認可日  

②指名された取締役とコミサリスの氏名、出身地及び生年月日、職業、住所及び国籍

③払込済株式の株主名、株式の詳細及び額面価額 

この規定から、法人も発起人になれることが分かりますね。また、会社の株式は額面を記載して発行することになります。

(3) 発起人は、設立証書の作成に関し、第三者に委任することができる旨が規定されています。

第9条 

⑴法人格取得のための大臣決定に対する申請方法が規定されております。この点、インドネシアは日本より進んでいて、基本的に電磁的方法をもって申請を行うことになります。

(2) 但し、設立申請より前に、会社商号の申請を行う必要があります。

(3)当該大臣決定に対する申請や商号の申請は、公証人に対してのみ申請を委任できます。弁護士は手続自体はできないんでしょうかね。。。今後の調査課題です。

(4) 手続の詳細は政令により定められる旨が規定されています。

第10条

⑴大臣への申請は、会社の設立証書に署名した日から 60 日以内に、付属書類とあわせて大臣に提出する必要があります。

(2) 前項の「付属書類」に関する規定は、別途省令によって定められます。

(3) 申請書及び付属書類に問題がなければ、その旨が大臣から電磁的方法で連絡がきます。

(4) 逆に問題があっ場合、大臣は問題がある旨及びその理由を電磁的方法により通知してくれます。

(5) 問題がなかった場合、大臣からの通知から30日以内に、申請者は電子システムによって提出した認可申請書及び付属書類の原本を提出しなければなりません。結局ここで原本は必要となりますので、全てがネットワーク上で完結するわけではない点に留意しなければなりません。

(6)原本の提出がなされた場合、14 日以内に電子署名のある設立認可が発行されます。

(7) 第5項に規定にされる30 日以内に原本の提出をしなかった場合、または付属書類に不備があった場合には、大臣は電磁的方法でその旨通知し、第 3 項規定の認可申請書の受理通知は無効となってしまいます。

(8) 但し、異議がない旨の通知が無効となった場合、第5項の申請者は再度設立申請書を提出することができます。

(9) 第1項に定める60 日の期間内に大臣の設立認可申請が提出されない場合には、設立証書自体が無効となり、法人格未取得の会社は法により解散され、発起人によって整理されることになります。

(10) 第1項の規定は、再提出の場合にも適用されます。

第11条       

上記電磁的方法を行うための環境がない地域では、別途省令で定められた申請書の提出に関する更なる規定が適用されます。

第12条 

⑴発起人が会社設立の前に行う株式の保有及び払込に関する法律行為は設立証書に記載されなければなりません。

(2) 前項規定の法律行為が公正証書の方式によらない場合、かかる証書は設立証書に添付される必要があります。

(3) 他方、公正証書の方式による場合は、当該公正証書の番号、作成日、作成した公証人の名前及び住所を設立証書に記載することになります。

(4) 上記を満たさない場合、当該法律行為の権利義務を会社に帰属させることはできず、会社もこれらの法律行為に拘束されません。

第13条 

⑴発起人が設立前の会社の利益のために行った法律行為は、会社が法人格を取得後、最初の株主総会で、すべての権利義務を承認し、引き継ぐことを承認した場合にのみ会社を拘束します。

本条及び次条が、日本でも問題となる設立前の法律行為です。次条は「会社名義で行う法律行為」ですので、こちらは発起人名義で行う法律行為を指すものと思われます。

日本では設立前の法律行為についてはその内容自体かなり限定されていますが、少なくとも私がインドネシア大学で受けている講義の中では内容による限定については言及されていませんでした。本条及び次条による手続き的担保があるからなのかもしれませんが、この点も今後の調査課題です。

(2) 前項に定める株主総会は、会社設立後60日以内に開催されなければなりません。

(3)また、全株主が出席し、かつ、全株主が承認した場合のみ有効となります。

(4) 上記条件を満たなさない場合、法律行為を行った発起人が個別に責任を負うことになります。

(5) 株主総会の承認は、当該法律行為が、会社設立前に全ての発起人からの書面による承認を得ている場合は不要となります。

第14条

⑴法人格取得前の会社名義による法律行為は、全ての取締役、発起人、及びコミサリスが共同で行う場合に限り認められます。もっとも、会社名義で行ったとしても全ての取締役、発起人及びコミサリスは連帯してかかる法律行為の責任を負います。

(2) 前項の法律行為が一部の発起人によってのみ行われた場合は、当該発起人はかかる法律行為に責任を負い、会社は当該法律行為に拘束されません。必ず関係者(発起人だけではありません)全員で行う必要があります。

(3) 本条の法律行為は、会社が法人格を取得した後、自動的に会社に承継されます。

(4) また一部発起人のみが行った法律行為も、法人格取得後最初の株主総会において、全株主が出席し、かつ満場一致による承認された場合は、会社が当該法律行為の権利義務を承継します。

(5) 前項に定める最初の株主総会は、法人格取得後60日以内に開催されなければなりません。

以上が設立に関する条文の概要でした。各手続に要する日数が細かく規定されている点は安心感がありますが、実務上どこまで実行されているかはまた別問題ですので、今後はこの点も調べていきたいと思います。

それではまた次回!

※本ブログ記載内容は筆者個人の見解であり、所属する法律事務所の見解ではございませんので、何卒ご了解ください。

※個別の案件につきましては、必ず別途、弁護士など等法律の専門家に個別にご相談ください。