インドネシア大学生活(日常編)

Selamat sore!

皆さんこんにちは。

 

日本ではコロナの感染拡大もようやく終息への道が見えてきましたが、長期化させないためにももう一踏ん張りですね。

他方、インドネシアでは大規模社会制限の実施がジャカルタ及びその周辺だけでなく、地方の州まで広がりつつあります。(ちなみにインドネシアは34の州から構成されています。)先日お伝えしました通り、今年は5月24日頃からレバラン(断食明け休暇)が始まりますので、ここがインドネシアにおける正念場とも言えます。

 

私の所属するインドネシア大学法学部は期末試験の真っ最中です。他学部は元々レバラン明けに試験を行うようでしたが、法学部は結局当初の予定どおりスケジュールをこなしてしまいました。最後の帳尻合わせの急ピッチさはどこの国も同じでしたが、うまく期末試験事態は、Googleのclassroomなどを活用してうまくこなしていました。このあたりの柔軟性はさすがというべきですね。

 

さて、前回はコロナ影響下の大学生活の様子についてお伝えしましたが、これまでインドネシアでの大学生活がどのようなものかを書いていなかったような気がしますので、この辺りで記憶を頼りに記しておきたいと思います。

 

大学生活の中心は何と言っても講義ですね。

当たり前と言われるかもしれませんが、少なくとも私の学部時代の実態は決して講義中心の大学生活とは言えないものでした・・・。

しかし、ここでは実際に講義中心の生活を学生が送っていると言っても過言ではありません。要因はいくつかありますが、最たる理由は講義の時間数ですね。

まず、1つの講義が通常(少なくともスケジュールの上では)2時間半あります。それも休憩なしで。そのような講義が1日に2〜3つ入っています。

ただし金曜日は比較的授業が少ないように感じました。この辺りも金曜日を安息日とするイスラム教に対する配慮でしょうか。あと、実際に2時間半やるかどうかは、教授の気分しだいです。やることもままあります。

そして、もう一つの要因が、課題の多さです。どの講義も基本的に課題が毎週のように出されます。その多くがグループワークで、他の学生の前でプレゼンテーションを行うこともしばしばです。

私が所属していたクラスはインターナショナルコースであったため、プレゼンテーションも、その後の議論も全て英語でした。

突然インドネシア語に切り替わるパターンも多々ありましたが、それでも学生たちの英語力には本当に毎回驚かされていました。

その反面、学生のプレゼンテーションが長々と毎回行われるせいで、教授から体系的に学問を学ぶことはできません。このあたりのバランスは難しいところですね。友人の学生はパワーポイントの作り方ばかりがうまくなると嘆いていました。

 

このように講義が忙しいため、学生のほとんどはアルバイトを行うことがありません。(そもそも雇用自体も募集がなさそうです。)

もっとも、これは忙しいからというだけでなく、彼らの多くが富裕層だからというのも大きな要因です。半数は車で学校までやってきますし、私の所属していたクラスには、前大統領のお孫さんや、有名人夫婦のお子さんもいました。(ただし、二人とも権威を振りかざすような態度をとらないので、全然気づきませんでした。)

ただし、学生もお金を稼ぐチャンスがあります。それは、インターンシップです。

日本でも最近は給与付きのインターンシップが増えてきたように思いますが、インドネシアではインターンシップは給与付きがスタンダードなようです。期間も2カ月から3カ月と、学期間の休校期間のほぼ全てを費やす形となっています。

このように書いていると、インドネシア大学の学生は日本の学生よりもはるかに勤勉のように聞こえますが、ちゃんと若者らしい面も備えています笑

サークル活動は盛んで、大学の広場のあちこちで車座(文字どおり車座です。みんな地べたに何時間も座っています。。。。)を作っている光景が見られます。

この辺りも写真にとっておけばよかったですね。。。

以前のブログで記載しましたが、私も隣の経済学部の登山サークルに混ぜてもらい、山に登ったこともあります。

他にも様々なイベントを自ら企画しては実行していくインドネシア大学の学生たち。内容・計画のレベルはともかく、その行動力には目を瞠るばかりです。

 

最後は恋愛事情ですね。イスラム教徒の多いインドネシアですが、他のイスラム教国ほどは厳しくない(アチェ州は除きます。たとえ外国人でも未婚のカップルで同州を歩かないでください。)というのもあり、大学校内や近くのカフェでよく手を繋いで話をしているカップルを見かけます。ただし、イスラム教徒の周りの目もあるので、日本のように自由奔放にとはなかなか行かなさそうですね。旅行している若いインドネシア人カップルを見かけることはなかったように記憶していますし、カフェで閉店時間までのんびり話をするくらいが一般的な過ごし方なのかもしれません。もちろん個人差はあるのでしょうが。

 

いかがでしたか?

私の大学生活は10年以上前のことですし、去年まで指導していたのも法科大学院という特殊な場所でしたので、今の普通の大学生の生活は分かりませんが、インドネシア大学で一番驚いたのは、やはり講義のやり方でしたね。ただ、1コマ3時間ぶっ続けは無理だと思います。。。退屈な授業なんか、みんなオンラインで、クラス全体参加のゲームを始めてますよ、先生方。。。

 

それではまた次回!

コロナウィルス インドネシアの状況〜その2

Selamat malam!

新年度がやってきましたが、今年度は新型ウィルスのせいで波乱の年度となりそうですね。

一刻も早く事態が収束することを願ってやみません。

さて、今回は先月末までのインドネシアにおけるコロナウィルス対策について、見聞きしたところを書いていこうと思います。

私は先週帰国したのですが、その際はまだインドネシアからの搭乗者に対する空港での検査はそれほど厳しくなく、サーモグラフィーで熱がある人のみを検査対象としているようでした。

ただし、大使館からの情報では、私が到着した日の翌日から、インドネシアからの搭乗者に関しても全検検査の対象とする予定でしたので、今は状況が様変わりしていることと思います。

インドネシアでは、今年の3月2日まで感染者が確認されていなかったこともあり、それほど深刻には捉えられてなかったように思います。前にも書いた通り、インドネシア人は冗談で「普段からウィルスに慣れてるから、感染者がいないんだ」等と言って、特に対策はとっていませんでした。おかげで、日本で騒がれ始めた2月中はマスクも消毒液も普通に購入することができていました。

インドネシアで状況が大きく動き出したのは、感染者が徐々に増えてきた3月15日に、ジョコウィ大統領が声明をだした頃からのように思います。学校の閉鎖等が決定し、声明当日は私が通っていた大学の近くのスーパーでも買い付け騒ぎが起きていたようですが、その後に私がスーパーに行った際は品揃えに問題はありませんでした。

また、インドネシア、特に都市部で普及しているGojekとGrab(前者はインドネシア国内、後者はシンガポールの会社ですが、いずれも配車サービスや宅配サービスを中心にインドネシア国内で様々なサービスを展開しています。)に関しても、少なくとも配車・宅配サービスは機能していましたので、おかげで日常生活で居住するアパートメントの敷地から外出をする必要はほとんどありませんでした。

他方、ジャカルタの娯楽施設は3月15日以降全て閉鎖されたようです。

インドネシアの特殊性として、国民の約90%を占めるイスラム教があります。

3月15日にジョコウィ大統領が「家で祈ろう」と呼びかけて以降も、私の近所のモスクは一日5回、お祈りの呼びかけを続けていました。また、アルコールを許さない宗教というのもあり、アルコール消毒はポピュラーとは言えないように思います。ただし、今回の事態によって変わるかもしれませんね。

国民に消毒の文化がない一方で、政府は必死にコロナウィルス対策に取り組んでいます。

写真は、手続きのために外出した日の風景です。

消防車のようなものを使って、沿道に薬品と思しきものを散布していました。

3月31日の情報では、ジョコウィ大統領は、さらなる外国人の入国規制を打ち出し、滞在許可のない外国人による全てのインドネシア訪問及びインドネシアでのトランジットを当面停止する旨を発表しました。

世界中で移動の自由に対する制限が厳しくなっていく様をみるのは非常に辛いですが、人命最優先ですから、この流れは止められないですかね。。。

それではまた次回!

コロナウィルス インドネシアの状況について

selamat malam!

 

タイトルの通り、コロナウィルスの状況についてお伝えします。

本日、3月2日現在、インドネシアにおいて初めて新型コロナウィルスの感染者が2名発生しました。それも、ジャカルタではなく、私の住む町デポック(ジャカルタの隣で、日本でいうと埼玉的な場所です。)で発生したのです。

現地報道によると、私が通うインドネシア大学から5kmほど離れた民家で2名が感染した模様で、しかもこの2名は、日本人が同人宅を訪れた際に感染したものとみられています(日本人がマレーシアで陽性反応が出たため、同人の経路調査を行ったところ、インドネシアの訪問地での感染が発覚したという経緯のようです。)

日本大使館からの発表では、先月下旬には発熱が認められた日本人含む外国人の入国が空港で拒否されたこともあるため、今回の件でさらに入国管理が厳格化する可能性も否めません。

なお、3月2日現在の日本大使館情報では、2月28日付で新たに法務人権大臣令が発令されており、在中国のインドネシア公館において訪問査証および一次在留査証を申請する外国人には、中国の保健当局が発行する新型コロナウィルス非感染証明書(英文)の提出等の条件(条件は複数ございますので必ず大使館情報を直接ご確認ください)を満たせば、当該査証を付与するとしているとしています。ただし、インドネシア入国日以前の14日間に中国に滞在・訪問した外国人への査証免除措置および入国時一次在留査証の発給については、引き続き一時的に停止中です。

 

日本をはじめ、様々な箇所に深刻な影響を及ぼしつつありますが、一刻も早く事態が収束することを願ってやみません。

これからインドネシアにお越しになられる方、特に中国経由でいらっしゃる方は必ず大使館の入国管理情報を事前にご確認ください。

 

それではまた次回!

雨季のジャカルタ

Selamat malam!

日本ではコロナウィルス感染拡大がとうとう東京オリンピック中止に飛び火しそうな勢いですね。一刻も早い沈静化を祈るのみです。

私のところには友人から、「・・・是非拡散させてください。自己防衛が最重要です。今回のコロナウィルスは非常に熱に弱いことがわかりました。耐熱性に乏しく、26-27度の温度で殺傷します。なので、より多くのお湯を飲んでください。お湯を飲むことはすべてのウィルスのためにも効果的。冷たいものは厳禁です。・・・・」等というメッセージが転送されてきました。他の友人も来たと言っていたのでそれなりに拡散されている内容のようですが、人の体温が36度前後である以上、それが事実ならお湯を飲まずとも人を介した感染拡大は成立しないことになります。。。ただし、結論の「お湯を飲もう」については特に体に悪いことではないので特に文句はないのですが、どういうつもりで発信者はこの情報を流したのでしょうか。。。

 

 

他方、こちらジャカルタは、未だ感染者ゼロを続けているようですが、昨夜からの大雨の影響で、洪水の真っ只中にあります。年明けにもジャカルタでは大規模の洪水があり、何人もの方が亡くなってしまったので大変心配です。

私の住む街・デポックでは特に洪水まで被害が及んでいないようですが、ジャカルタは移動がなかなか難しい状態のようで、今日の講義も中止になってしまいました。

こちらが友人から送られてきた写真です。

バイクも半分水没してしまっている状況ですので、確かにこれは大変な状況ですね。

ただ、こちらの人たちはみんな慣れた様子です。あるインドネシア人学生に、「洪水で遊ばないか」と言われたので、「君たちみたいにウィルス耐性のある体じゃないから無理だよ」と断ったら、「何言ってるんだ、みんな洪水で遊んでウィルス耐性を身につけてきたんだ」と返されてしまいました。なるほど、道理でコロナウィルスの感染者が未だにゼロなわけですね。。。

とはいうものの、雨季のジャカルタでは、(特に蚊を媒介とする)様々な感染症の恐れがありますし、洪水により移動ができないことも想定されますので、皆様お越しの際は、服装・移動手段には十分お気をつけください。

それではまた次回!

半年を振り返って

Selamat siang! (インドネシア語でこんにちはという意味です。)

クリスマスも終わり、いよいよ年末年始ですね。

インドネシアではクリスマスに多少の盛り上がりをみせるものの、日本のような年末年始休暇はありません。そのかわり、イスラム教の宗教行事であるラマダン(12ヶ月のうち1ヶ月間行う断食)後にレバラン休暇が1週間近くあります。ヒジュラ暦(イスラム暦)で計算されるので毎年違うのが厄介なポイントです。2020年のラマダン・レバランは4月~5月ですので、その際にこちらの様子をお届けしたいと思います。

さて、今回は2019年最後の更新ということで、来インドネシア半年(正確には4ヶ月半なのですが)を振り返りたいと思います。

1 大学生活

私が参加しているのは主に交換留学生を対象としたプログラムなのですが、私が留学しているインドネシア大学にはインドネシア人学生を対象とした英語での授業が元々あり、それに参加する形式でした。法学部に参加する奇特な外国人は私しかおらず苦労する場面も多かったですが、周りの学生に助けてもらいながらなんとか過ごすことができました。(とは言っても、英語の授業リストのはずがインドネシア語の講義が混ざっていたり、英語と称したほとんどインドネシア語の講義があったりで、やむなく受講停止した科目もありました。。。)

久しぶりの大学(学部)生活は新鮮でしたが、日本とはなにもかもが違いました。

こちらでの生活自体には比較的早い段階で適応したのですが、大学生活に適応するのに費やした半年だったといっても過言ではありません。

第一に、課題・グループワークの量が明らかに異なります。日本の学部に通っていたのが10年以上前なので、これが時代の変化によるものなのか国の違いによるものなのかが定かではないのですが、どの授業もほぼ毎週といっていいほど、レポート課題やプレゼンテーションの課題が出されますので、私のプログラムはそれほど授業単位数が多くないのですが、それでも慣れない作業に四苦八苦する日々でした。

グループワークも多いのですが、昔と違いわざわざあって話し合うのではなく、ドキュメント共有アプリ上で文章やプレゼンテーション資料を作成していくあたりは、どちらかというと時代の問題ですかね。。。

第二に、教授の厳しさと適当さの違いですね。課題提出に関してはやたら厳しいのですが、講義スケジュールはというと、正直に言えば(日本的な観点から言えば)お粗末としか言いようのない状況でした。第一週の講義に緊張しながらクラスに赴いたものの、1クラスを除き参加したすべてのクラスの教授が初日の講義の日時を間違え、休講になったことは特に大きな衝撃でした。。。

突然の休講も頻繁にある(幸にして私は事務課の人と仲良くなったので、前夜に個別に連絡をもらえるようになりましたが)一方で、こちらの大学は休講した分は必ず補講を行うという制度であるため、ただでさえ1コマ2.5時間ある授業を連続して2コマ行うという暴挙もしばしばでした。

日本人にとって、このスケジュールの読めなさはかなり致命的ですが、おそらくビジネス界も似たり寄ったりなのだろうと今から諦めのような覚悟をしております。

それにしても、試験日が1週間前まで分からなかったり、事前に言ってた試験範囲・形式と全く異なる出題をしたり、法律家として「予見可能性」や「公平性」という単語を知らないのか!と言いたくなることも多々ありました。

2 法律

この半年は主に株式会社法を中心に勉強をしておりました。株式会社法のご紹介は来年も引き続き当ブログでご紹介して参ります。

日本企業がインドネシアに進出するには、ほぼ株式会社の形態一択ですので問題ないのですが、こちらでは日本とは異なり、パートナーシップ形態による事業活動も盛んなようです。日本では最低資本金制度が撤廃されたこともあり、わざわざ経営陣(法律的には「社員」といいますが、日常用語の従業員としての意味ではありません。)が無限責任を負う合名会社・合資会社を新規設立することは少なくなったように思いますが、こちらでは未だ最低資本金制度を採用している(インドネシア企業にとっては2019年12月時点のレートで日本円にして10万円程度なのですが。外資企業の資本金規制は全く別のでご注意ください。)ことも一つの要素と考えられます。厄介なのは、日本の合名会社・合資会社と違い、パートナーシップ形態には登記制度もなく法人格が存在しない点です。取引の際はこのような点にも気をつけなければなりません。

また、興味深いですが複雑怪奇なのが「アダット法」です。一種の慣習法なのですが、地域ごとというよりは部族ごとに有しています。アダット法については年明けにもう少し詳しくご紹介する予定です。

受講可能な講義リスト(授業名が書かれた1枚のリストだけを頼りに受講科目を15分で決めさせられました。。。)の中に「conflict of laws」(法の矛盾)という講義名を見て、私はてっきり法律、条例、大統領令、省令の相互矛盾の講義かと思い受講したのですが、実際はは法律、宗教法(主にイスラム法)、そしてこのアダット法の相互矛盾についての講義でした。

期待していた内容とは全く異なるものでしたが、なるほど確かに非常に難しい問題で、興味深い内容でした。そもそも慣習法の性質上不文法であるため、その内容把握が困難であるうえに、法律等との優先関係も不明であることにより複雑さに拍車をかかります。

また法律の内容というよりも、法令調査の難しさにも直面しました。

ごく基本的な法律に関しては英訳が存在するのですが、その英訳も法律事務所等が訳したものですので、正訳ではありません。民法に至っては原文が殖民地時代のオランダ語のままですので、インドネシア人のほとんどが原文の民法を読んだことがない(インドネシア語訳のインドネシア民法で勉強しています)という事態に陥ったままです。このため、少なくともこの半年間の講義では、日本のように条文の「文言」を解釈するような話は聞かないままでした。

日本のような判例データベースが存在しないため、法律解釈論の蓄積がなく、これが裁判での結果の予測可能性を著しく損なわせているように感じます。このあたりとどう折り合いを付けていくかが(現地の法律家がどうしているのかを知るのが)来年以降の私の課題です。

3 語学

インドネシア、特にジャカルタ近郊の学校では英語教育が盛んで、私が所属しているインドネシア大学法学部(の特に英語で講義を受けるコース)の学生はみな英語が堪能で圧倒されました。この前旅行中に出会った14歳の女の子ですら、日常会話にはなんら不自由がないほど英語を使いこなしており驚くばかりです。

このため、大学生活ではほとんど英語で生活していたことから、期待していたほどインドネシア語が習得できなかったのが反省点です。来年はもう少し生活を工夫して、インドネシア語を使用する機会を増やさねば。。。

とはいうものの、旅先で必要なことを片言で伝えられるくらいにはなったので、12月にはスラウェシ島と、そしてコモド島のあるフローレス地方に行ってまいりました。これらに関しては年明けにまたこちらでご紹介したいと思います。

インドネシア語は、世界一簡単な言語と言われ、たしかに文法の複雑さはそれほどないのですが、いくつかの落とし穴があります。

第一に、現地語の存在です。インドネシアには300もの部族があり、部族ごとに独自の言語をそれぞれ使用しています。その数は一説には700言語とも言われており、公式文書は別としても、日常会話では現地語も混ざって会話がなされることも多々あるため、特に聞き取りには困難を極めます。抑揚なく、呼吸をおかずに話し続けますしね。

第二に、略語の存在です。長々と話す割にめんどくさがりのところがあり、会話では略語がとても多く使われます。インドネシア人のグループチャットをみていても、略語が多すぎて全然わかりません笑

第三が発音方法です。特にLとR、FとVが聞き取れません(少なくとも私には)。LとRは日本人と異なり、両方とも巻き舌のように発音し、FとVに至ってはオランダ語のせいか同じ発音なのです。また、Eは、「エ」と発音する場合と、「ウー」(但し口の形は「イ」の形)と読む場合があったり、日本語では「ン」でもインドネシア人は「N」と「NG」で発音を区別しますので注意が必要です。

これらの発音は頻繁に英語でも発動するので注意が必要です。ある日の株式会社法の授業中、株主総会の説明で教授がずっと「フォーティーンライト」と言い続けるので、私はずっと「fourteen rights」(14の権利)があると思っていたのですが、しばらくして「voting right」(議決権)だったことに気がつきました。。VをFと同じように読み、NGを「ン」と発音してしまうとこうなるんですね。。。

第四に文法が簡単ゆえの表現のゆれの多さです。正直に申し上げて、まだその細かいニュアンスを表現する段階には至っていないのですが、文法がないせいで、逆に一つの文章が複数の意味に捉えられることも多いように感じます。よりちゃんと説明しようと思うと、おそらく話がめちゃくちゃ長くなるんですね。

4 文化・生活

この半年間、一番注力してきたのは、インドネシアの文化・生活を体験することでした。インドネシアとひとことで言っても、多民族国家のインドネシアでは全く異なる文化が共存しているため、体験するためには必然的にあちこちに行かざるをえません。

各地域の文化については、これまでも個別にご紹介して参りましたし、これからも別途記事でご紹介する予定ですのでここでの詳述は割愛しますが、インドネシア文化を理解するうえで欠かせないキーワードは「宗教」と「土着文化」の融合だと感じました。

国全体でいえば、人口の約90%がイスラム教徒なのですが、島によってはキリスト教やヒンドゥー教が大半を占める地域も多く存在します。

この国の国是として「多様性の中の統一」という素晴らしい言葉があります。しかし、現在では多数派を占めるイスラム教徒によりこれが侵されようとしている側面があり、今後の注視が必要ですが。

いずれにしても、多様性を基礎として成り立つこの国では各地域の文化・ルールを知ることがインドネシアの方々と仲良くなる一番の近道のような気がしています。

日本では国土全体を表現して「北は北海道から南は沖縄まで」と言うことがありますが、こちらでは「サバンからメラウケまで」といいます。サバンは西の果てのサバン島(津波で有名になってしまった厳格なイスラム教で治められるアチェ州にあります。)、メラウケはインドネシア領パプアの東の町です。東端から西端まではアメリカ大陸より長いので大変ですが、なるべく来年で全国各地を回って各地の生の文化をお届けしたいと思います。

長々と書きましたが、来年も色々書いていきますので、これからもご愛読いただければ幸いです。

それでは皆さま、良いお年を。

インドネシアでの登山

本来、今回は私が在籍しているインドネシア大学で開催予定であった、某外部団体の調停制度に関するカンファレンスについて報告するつもりだったのですが、予定を変更して先週末に行ったインドネシアでの初登山について書きたいと思います。

というのも、上記カンファレンスに指定時間・場所通りに暑い中スーツを着て行ってみたのですが誰もおらず。。。主催者側に連絡したところ、場所を1時間程離れた違う所に変更したとのこと。メールで連絡したと主張するも、どこを探しても見つからず。。。

インドネシアでの生活を始めて3カ月が経ちますが、今のところ苦労しているのは、この予定が次々と勝手に変更されていくところと、ネット環境の悪さです。

とりあえず、事前に支払った参加費くらいは返して欲しいのですが。。。

ネットについても、マンションを担当していたWi-Fi業者が何の通知もなく撤退して使えなくなったり、携帯電話のネットワークもいきなり使えなくなることなど日常茶飯事です。未だに私の住むデポックでは時々停電がありますしね。

 

さて、愚痴はこの程度にしまして、本題に入りたいと思います。今回は、インドネシア大学(以下「UI」)経済学部の登山サークルの人たち(全員インドネシア人)と一緒にジャワ島中部にあるGunung Cikurayという標高2821mの山に行ってきました。

結論から言うと、日本人にはなかなかタフな旅でした笑

 

そもそもこの件も元々は違う山に行く予定だったのですが、当初予定の山が雷による山火事で行けなくなり急遽変更した形でした。これは不可抗力なので仕方ないですね。

金曜の夕方4時にUI内にある部室のような所に集合します。

 

すぐ出発予定と聞いていたのですが、結局出発したのは6時をだいぶ過ぎた頃でした。

そこからアンコットという乗合ミニバスのようなものを貸し切っていくのですが、普段せいぜい8人乗れば満席という中に、14人とテントを含む大きな人数分のリュックとを無理やり押し込んで、ジャカルタ郊外にあるバスターミナルまで移動します。

これがそのバスです。こちらの見た目は普通なので一安心しました。このバスで5時間ほどかけて登山口の近くまで移動します。

が、しかし、出発から間もなく日本の夜行バスとは程遠い環境に気づきました。何と、売り子があちこちで乗ってきては商品を狭い車内で売り歩くのです。

(乗客のように見えますが、手前の男性は黒いベルトを走行中の車内で売り歩いています。後ろからはカップ麺です。)

ただ、面白いのが、この売り子たちの販売方法です。富山の薬売りと同様、先に商品を全乗客の膝の上に置いて周り、その後、代金か商品を回収して回るという方式なのです。

この方法、確かに商品を手に取るので少しは考える余地ができるのですが、1売り子が1.5往復する上に、通路は人1人通るのがやっとの幅で、必然的に乗客にぶつかりながら歩くことになりますので、おかげで全然寝れません。。。

そんな状況にも耐えつつ、停留所もないコンビニの前で我々は降り、今度はピックアップトラックに乗り込みます。日本ではこれで公道を走ったら完全にアウトですが、インドネシアでは規定が無いグレーゾーンか、信号無視と同様、法規はあるけど誰も気に留めてないというパターンかのどちらかですね。

 

麓の山小屋まで移動し、ようやく2時間ほどの仮眠をとり、朝出発します。

 

5時半に起こされ、7時に出発すると言われたのですが、そもそも準備に1時間半かかることを想定していた割に結局出発したのが9時半という。。。この時間のルーズさには慣れてきたつもりでしたが、日本の登山では考えられないですね(中止にするレベルの出発の遅れです。)。

待っている間あまりにも暇だったので、他に準備を終えた数少ないインドネシア人学生と地元の子供を集めて即席で日本についての授業をやっていました。

ジャワ島の雨季は、以前は9〜10月初めには始まると言われていたようですが、気候変動のせいか、10月中に雨に降られることはほとんどありませんでした。ただ、11月に入りようやく雨季の様相となり、この登山中はほぼずっと雨でした。。

そんな中でもインドネシア人学生たちはポンチョ(しかもビニールでできた簡単なもの)を着ていればいい方で、何も着ずに登る人も多かったです。日本では多少の小雨では傘を差さずに歩き、よく周りから白い目で見られていた私ですが、本降りの雨でも気にしないインドネシア人のタフさには驚愕するばかりです。

 

登山道にバナナがなっているあたりが、インドネシアらしいですね。

あと、インドネシアでは登山の時の行動食がはちみつをそのまま飲むというアグレッシブな方法でした。最初は断っていたのですが、ライムで割ってあるため意外とさっぱりして美味しかったです。日本にも買って帰ろうかな。。

 

 

雨の中登ること8時間(最初の遅刻とタバコ休憩のせいで日没ギリギリでした)、ようやくキャンプ地につき、野営の準備をします。

日が落ちると気温は急激に下がり10度以下になります。乾季だとマイナスになることもあるそうです。どこでも高山が寒いことに変わりはありませんでした。歩いている間は雨に濡れても平気だった学生たちも、着いた後は濡れた体で凍えてました。そりゃそうだろ。。。

 

テントは登山サークルで準備するので大丈夫と言われていたのですが、まさかのキャンプ用テントで、しかも明らかに今いる人数の3分の2程度の定員分しかありません。なるほど、ここでもぎゅうぎゅうに詰められるのですね。。。

 

翌朝も、予定通り予定出発時間から2時間ほど遅れ、再び雨の中を歩いて山頂を目指します。

2821mの山頂では雨は止んでいたのですが、霧で全く何も見えませんでした。。見えるのはゴミだけ。。。

今回の登山から、インドネシアでビジネスする難しいポイントを再認識しました。一つは再三書いた通り時間に全く頓着しないこと。もう一つは、事前に予測して準備を行うことが苦手なことでした。今回も登山に必要なものを平気で持ってきていなかったり、そもそもの計画もざっくりとしたものしかなかったりと、日本では考えられないような感覚でした。インドネシアでもトップの大学の学生でこのレベルなのかと思うと、こういった感覚の人達とどう折り合いをつけていくかが今後の課題です。

ただ、日本に対する興味は大変高く、質問攻めにあう時間も多かったですし、日本企業で働きたいという学生も多いので、これからに期待したいと思います。

色々言いましたが、インドネシア人はとても人懐っこく、よく声をかけてくれて、なんだかんだで仲良く登ることができました。

(何人かは登頂を諦めてテントでタバコ吸って凍えてました。)

 

追伸

帰りのバスで運転手に騙されて、まさかの夜行バスで5時間立ちっぱなしの状況になりそうだったので、無理やり降りてヒッチハイクを始める学生たち。。

この後次のバスが空いていたのでそれで帰りましたが、帰宅時刻は当初の予定から8時間後の月曜朝5時半でした。

もうインドネシア人と一緒に山に行くことはないかな笑

 

ではまた次回!

 

 

デポックの市場とインドネシア(ジャカルタ近郊)の食文化について

今回は、私が住むデポックにある、庶民向けの市場について紹介したいと思います。

なお、以下ではかなり生々しい食材の写真が含まれますので、刺激の弱い方やお子様の方は決してスクロールしないでください。

また、通信環境の関係で画質を落としてアップロードしなければならないため、かなりピンボケしたように見えるかもしれません。何卒ご容赦頂ければと存じます。

 

 

さて、今回、知り合いのインドネシア の弁護士の方と食事をする前に、デポックの市場に連れて行ってもらいました。

新しい国に行くと、可能な限り私は市場を訪れるようにしています。

現地の人がどのような食材を食べているかがよく分かるので、生活を把握するにはうってつけです。

 

 

まずは野菜から。

インドネシアでの食生活で苦労する点の一つとして、野菜の摂取があります。一応、インドネシアにもガドガドというサラダがあるのですが、ピーナッツソースがべったりとかけられているせいか、食べても全然健康になった気がしません。。。

それでも、スーパーや市場には一応日本で食べるのと同じような野菜を見つけることができます。ただし、品質は・・・。流通が発達していないせいで、特にスーパーで買うときは腐ってないかを確認してからじゃないと買えないレベルです。鮮度を気にするなら市場に行けとインドネシア人にも言われました。

インドネシアの人々はあまり野菜が好きじゃないみたいですね。

 

続いて、謎の香辛料たち。インドネシア人は本当に辛いものが大好きです。こちらではサンバルと言うのですが、サンバルなしには生きていけないようです。日本人にとっての醤油のような存在ですね。このため、インドネシアで薄味のものを食べようとするとたちまち困難に見舞われます。日本食レストランもあるにはあるのですが、インドネシア向けにアレンジされたものも少なくありません。

この国で驚いたのは、海に囲まれた島国であるにもかかわらず、海水魚よりもナマズ(lele)料理を見かける機会が多いということです。

鯰も、思ったよりも骨が多いものが多く、食べるのに苦労します。

ただ、この市場では幸いにも魚ががあり、ほっとしました。ただ、やはり流通の問題なのか、決していい匂いがするわけではないのでさっと通り過ぎます。

ここからが本番です。

日本では考えられない売り方ですね。。。

別の場所では、加工前の子たちが大人しく待っていました。。

インドネシアの人々は本当によく鶏肉を食べます。私の住むデポックもイスラム色の強い地域なので、豚肉やお酒を見かけることはありません。(それらを飲食したい場合はジャカルタまで出かける羽目になります。)

人によってはこんなの食べられないと思うかもしれませんが、日本でも誰かが流通の過程で同じことをしてくださっていることを思えば、私にとってはむしろ食べ物のありがたさを再認識させてもらう光景でした。

自信はないのですが、多分牛です。焼肉屋でみたことがあります。勿論、カットされたものですが。。。

率直な感想として、さすが牛のサイズだなと思いました。

こちらの人はどうやって買うんでしょうね?丸ごとはとても一家庭では消費できなさそうです。

牛も、ヤギと並んでインドネシアではメジャーな肉です。ただし、日本と同様、鶏肉の方が安いため、鶏肉の方がよく食べられているイメージです。

最後に・・・オックステールスープの原材料ですかね。

以上、なかなか刺激的な光景でしたが、命をいただく有り難みを感じさせる体験でした。

今回はさっと回っただけでしたので、値段等の細かい情報は確認できなかったのですが、次に訪れた際はチェックして、実際に購入してみたいと思います。

刑法改正等に関する近時のデモについて

インドネシアで生活していると日本では想定されない色々なことが起きます。

身近なところで言えば、アパートに入っていたWi-Fi業者が10月1日になんらの通知もなく、突如サービスを打ち切りました。私の部屋はそもそも携帯の電波が届きにくいため、お陰で家ではインターネットが使えない日々が続いております。。。

 

さて、日本の日常生活では想定されないものの最たる例として、デモが挙げられると思います。日本でも、東京で勤務していた際は、霞ヶ関の裁判所周りでもよくデモ行進を見かけましたが、せいぜい4列縦隊の整然としたもので、なんとも可愛らしいものでした。

インドネシアは違います。日本ではパプアのデモ(暴動)が報道されていたようですが、2019年9月下旬、ジャカルタは大規模デモの真っ只中でした。

抗議内容は刑法改正を中心とする近時の法改正に対するものです。

そもそもの前提として、インドネシア の刑法は基本的にオランダ植民地時代に制定されたままになっていたようで(民法も未だにオランダ植民地時代のままです。)、真の独立を目指してその改正を長年審議していたようです。

しかし、その内容が知れるや、直近で汚職撲滅委員会の権限を縮小させるような改正がなされていたことも相まって、学生を中心にその正当性を疑問視する声が高まり、法案の撤回を求めて、ジャカルタを含む複数の大都市で大規模デモに発展しました。

報道によれば、1998年のスハルト失脚時以来の大規模デモだそうで、2019年9月25日時点で、少なくとも300名以上が負傷、94名が逮捕され、その後には、死者まで生じる深刻な事態となりました。

海外メディア(日本は除かざるを得ませんが)が特に取り上げていたのは婚外の性交渉に関する刑法改正ですが、他にも大統領への不敬罪や堕胎に関する罪も新たに規定されるなど、イスラム色が濃く、かつ、民主化から遠ざかる内容(報道機関からすれば言論の自由に対する弾圧する内容)となっていました。

また、定住地のない方に対する罪(これに関しては日本も他人事ではないですね。軽犯罪法1条4号がありますから。)だったり、女性が夜間に一人で歩くことを処罰する内容だったり、果ては家で飼っている鶏が隣家に侵入することに対してまでも刑罰を科すことまで法案に含まれるなど、俄かには信じられないような話も出ていました。

 

また、法案の内容もさることながら、その改正に至る経緯自体も問題となっていたようです。

前回行われた選挙の結果に基づき、10月1日に新国会が成立することになっていたのですが、政府は旧国会期間中に、選挙で争点となっていなかった上記法案の成立を目指したのです。

結局、ジョコ・ウィドド大統領が法案の審議延期を発表しましたが、その後もデモは法案自体の撤回を求めて10月2日頃までは続きました。

私が現在在学しているインドネシア大学からは、この期間は一切ジャカルタ、特にデモ発生地には近づかないように命令が出ていたため、デモの様子をこの目で見ることは叶いませんでしたが、連日、テレビ局がトップニュースで扱っていました。

現在、デモは無くなったようですが、法案自体が撤回されたわけではなさそうなので、今後もインドネシア がどのような道を進むのか、経過を注視していきたいと思います。

 

しかし、今回の事件で私が一番気になったのは、何が「事実」かよく分からないということでした。私も弁護士の端くれとして、本件の情報収集に努めるべく、法案に対し声高に反対するインドネシア大学の学生複数名に、「インドネシア語でいいから、法案そのものを見せてくれ」と尋ねたのですが、その内容を直接見た人は、少なくとも私が尋ねた学生の中には一人もいませんでした。つまり、法案の内容を自ら吟味しないまま、デモを行っていたのです。

インドネシア人の友人に国会のホームページを見てもらいましたが、どうも法案は掲載されていないようです。

このため、結局、どこまでが真実なのか、未だによくわかりません。例えば、婚外の性交渉についても、婚外の性交渉全てを禁止したと記載する新聞と、同棲する男女にのみ限定しているように報道する新聞とがあり、その構成要件すら判然としません。まして、鶏が隣家に侵入したら罰金刑など、到底そのまま鵜呑みにするわけにはいきません。。。

 

私がインドネシアに来てまだ2ヶ月しか経っておらず、インドネシア語も分からないことが、主な原因なのでしょうが、この国で「事実」を議論することの難しさを痛感した2週間でした。

 

デポックに2週間生活して思うこと

ご無沙汰しております。

自宅のネットワーク環境が整わず、なかなかブログの更新ができませんでした。

なぜか私の部屋だけWi-fiが入らないという状況は未だ改善されていないのですが、ようやく様々な手続きが一段落しつつあるので、入国してからの約2週間、インドネシア(デポック)での生活を始めてみての雑感を残しておきたいと思います。

1 日本表記がとにかく多い

私が住んでいる街はデポック(Depok)というところで、ジャカルタから電車で1時間かからないくらいの場所にあります。この辺りは大学も多いほか、ジャカルタの郊外として人気が高いようで、たくさんの人で溢れかえっています。

その中で驚くのは日本語表記の多さです。

日本食(と称する)レストランはいうに及ばず、街の至るところで日本語表記を見かけます。

正規の日本の企業も多く見かけますが、中には怪しいものもたくさんあります。

このお店は東南アジア全般で有名ですね。

最近ではYahoo!ニュースでも取り上げられたようで、日本でも一気に知名度が増しているようです。

ロゴはどうみてもユニ○ロ、品物は無○良品といった感じの店舗です(ただし、写真の店舗はmarvelとのコラボ店舗のため、かなり色使いが派手です。)

日本語が多いというのは、日本製品の品質に対する信頼や羨望への表れではないかと勝手に思っております。

ロゴに使うフォントが明朝体だったり、日本ではそんなわけないだろうみたいな形で日本語を使うので、日本人からすれば大体すぐに日本のものかどうかはわかるのですが、インドネシアの方々は、なんとなく日本語が書かれていることしかわからない(インドネシア人に聞いてみましたが、勉強していない限り平仮名とカタカナの区別もついていません。)ので、日本企業にとっては、どうやって真正の日本製品であるかをアピールするかがネックとなりそうです。

 

2 蚊が多い

そんなの知っているよとおっしゃるかと思いますが、本当に多いです。水が近くにあろうがなかろうが、人が集まるロビーなどには大体10匹くらいが待ち構えていて、あらゆる角度から狙ってきます。

虫よけスプレーも大して意味がないため、最大の対策は、長袖・長ズボンを着ることです。

 

3 思ったより暑くない

日本では連日、猛暑・豪雨がニュースになっているようですが、こちらは大体30度前後で推移するため、東京の夏よりも断然こちらの方が過ごしやすいです。

それでもインドネシア人は暑がりなのか、暑いといっては冷房の温度を16度に設定してくるので、太陽よりもエアコンとの戦いの方が大変です。。。

 

4 歩きスマホする人がいない

日本では社会問題となっている歩きスマホですが、こちらではあまり見かけません。そもそもバイク・車での移動が中心のため、人が歩いていないというのが一番の理由ですが、実際に歩いてみると別の理由もありそうでした。

このような感じで、街のいたるところに絵に描いたような落とし穴がありますので、道路を見ていないと絶対に落ちます。

ご覧の通り、点字ブロックも一応は設置されているのですが、目の見えない方が歩ける可能性は限りなくゼロですね。

ちなみに車道には落し穴は(たまにしか)ないのですが、所々に半円筒状の段差が設けられていて、スピードを落とさずに直進すると、車は頭を天井にぶつけ、バイクは転倒する仕組み担っています。日本だとせいぜいメロディがなる薄い塗装をするくらいですが、道路上の瑕疵レベルの障害物を置くあたり、インドネシアの本気度を感じます。

 

5朝が早い

インドネシア人の朝は早いです。

大学も8時にスタートするのですが、これには宗教が大きく影響しているようです。

インドネシア人の87.21%(2016年,宗教省統計)がイスラム教徒ですが、彼らには1日5回のお祈りがあります。

そして一日の始まりのお祈りを日の出前に行うため、モスクが午前4時頃に拡声器で街中にお祈りの時間を知らせてきます。慣れないうちはこれに苦しめられる外国人も多いです。私の場合、4時に起きてもいいように、逆に早く寝る方向で対策しました。。。

さらに輪をかけて、インドネシア人は鶏をペット(目覚まし)として飼っており、これもまた日の出前に鳴いてモスク拡声器を後方援護してきます。

 

とこれまで心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書いてきましたが、今後もインドネシアの法律は勿論のこと、インドネシアの情報をお伝えして参りますので、よろしくお願い申しあげます!