聖なる月「ラマダン」

皆さん、こんにちは Salam Sejahtera

 

こちらはイサムです。

「ラマダン」が訪れ、本日で22日目になります。再び日本で「ラマダン」に招いたが、過去は夏で日本語の勉強だけの一日でしたので、今回の「ラマダン」は寒くて、かなり手ごたえを感じました。

その為、今回の話題は聖なる月「ラマダン」について説明致します。

イスラム教の信仰に基づき、「ラマダン」は最も聖なる月であり、イスラム歴の9番目の月に当たります。イスラム歴は太陰歴である為、ラマダンの開始時は毎年11日ほど早くなります。「ラマダン」には、アッラーが初めて預言者ムハンマドに語りかけました。また、預言者ムハンマドが、メッカ市の郊外にある「ヒラー洞窟」へ定期的に行き、瞑想や自己反省を行っていました。

 

なぜ「ラマダン」はムスリムにとって特別な月なのでしょうか?

「ラマダン」には、預言者ムハンマドの奇跡として、人々への道標である聖典クルアーンが啓示された月です。同月に、タウラート(モーセ五書)、ザブール(詩篇)、インジール(福音書)など以前の聖典も啓示されました。

聖典の啓示されただけでなく、「ラマダン」に行われた全ての善行は、神が二倍の報酬を与えてくれるという信仰があります。その為、多くのムスリムがラマダンに善行を競い合い、共同での断食明けの食事、貧しい人への食事の配布、慈善活動などを行います。

(出典:Behind The News)

聖なる月ラマダンは断食と同義であり、日の出前に「スフール(Suhur/Sahur)」あるいは断食前の食事を伴います。一般的な見方では、「断食」は日の出から日没まで空腹と渇きを我慢することに限定されています。しかし、ムスリムによる「断食」は飲食中止に限らず、性的関係、悪質な行動や発言等の欲望を抑制する儀式です。その為、「断食」よりは「斎戒」の方が適切です。

(出典:IslamiCity)

斎戒はイスラム教の基礎の一つであり、世俗的な欲望や活動から自己を遠ざける儀式です。それは、有害なものや悪から自身を解放ことによって、魂や心を浄化することを目的としています。ムスリムは斎戒を行うのは、聖なる月ラマダンが自己規律、自己制御、犠牲、そして恵まれない人々への同情の実践であると信じているからです。

断食する義務は誰に適用されますか?

思春期に達したすべてのムスリムが断食する義務があります。しかし、断食によって困難を経験する可能性がある人々は、この義務から除外されます。これには、病気であるか旅行中の人、妊婦、授乳中の女性、月経中の女性、または断食するにはあまりにも弱いか病気の高齢者が含まれます。これらの人々は後日断食を振り替える必要がありますが、年齢または慢性病により断食が不可能な人々を除きます。代わりに、彼らは断食を怠った日ごとに貧しい人に食事を提供することができます。

(出典:Global Village Space)

子供たちは、思春期に達するまで断食の義務はありません。習慣的に、子供の断食は7歳から始まり、半日だけや週末だけの象徴的な断食を行います。これは、徐々に子供たちを訓練し、1か月間の一体感を養うことを目的としています。ムスリムコミュニティやモスクは、1日間完全に断食したり、1か月間のラマダンを完全に過ごした子供たちに象徴的な賞を与えることもよくあります。

 

聖典クルアーンにおける「ラマダン」と「断食」について:

 

“信じる者たちよ。あなたがた以前の者たちにも定められたように、あなたがたのために斎戒が定められた。それであなたがたも、畏れる者となるだろう”。

(聖典クルアーン第二章183節)

 

“[斎戒の]日数は定められている。しかしあなたがたのうち病の者あるいは旅の者は、[その間は斎戒せず、]他の日に定められた[のと同じ]日数を[斎戒しなさい]。[困難のために斎戒が]できなかった者たちは、代償として一名の貧しい者を養いなさい。誰であれ自らすすんで良いことをするなら、それはその者のために良いこと。しかしあなたがたのためには、斎戒がもっとも良いこと。もしあなたがたが、知ってさえいたから。”

(聖典クルアーン第二章184節)

 

“ラマダーン月は、人々の導きとして、また導きの明白な証と規範としてクルアーンが下された月。それゆえあなたがたのうち、その月に立ち会った者は斎戒しなさい。しかし病の者あるいは旅の者は、他の日に定められた[のと同じ]日数を[斎戒しなさい]。アッラーがあなたがたに求めるのは安楽であり、あなたがたが定められた日数をまっとうし、あなたがたを導くアッラーをほめ称えることであり、あなたがたに苦境は求めない。あなたがたは、感謝するようになるだろう。”

(聖典クルアーン第二章185節)

(日本語翻訳:東京ジャーミィ「クルアーン日本語読解」

 

以上は「ラマダン」の概念でした。「ラマダン」の終わりに、ムスリムは「イード・アル=フィトル」、または「断食明けの祭り」を祝います。子供たちには新しい服、お金、または贈り物が親、親戚、友人、さらには隣人から与えられるのが伝統です。特別な礼拝と儀式は祝祭日の朝に行われ、通常は屋外の広場や大ホールで、各地のムスリムコミュニティによって実施されます。次回は「イード・アル=フィトリ」についてご紹介します。

では、また次回 Sampai Jumpa!