Selamat tahun baru! (明けましておめでとうございます!)
新年最初の記事は、先月訪れたスラウェシ島のタナトラジャ地方の文化についてのご紹介です(全3回でお届けする予定です)。
但しこの地域、かなり特殊な死生観を有しており、写真もある程度は配慮してアップしておりますが、必然的に刺激の強い内容となっております。動物の亡骸やミイラが苦手な方、絶対に以下の記事は読まないでください。
スラウェシ島は、首都ジャカルタのあるジャワ島の東に位置し、ジャカルタに一番近い南の街マカッサルまで、ジャカルタから飛行機で約2時間強です。タナトラジャはスラウェシ島のほぼ中央にあります。(但し、州はマカッサルと同じ南スラウェシ州です。)
タナトラジャと言っていますが、日本では「トラジャコーヒー」の産地と言った方がわかりやすいかもしれません。
コーヒーの生産地ということからも分かるように(コーヒーは、基本的に赤道近辺の標高500m~2500mの高地で生産されます)、タナトラジャは山の中にあります。
マカッサルからは交通手段が車(バス)しかなく、夜行バスに揺られること8時間、ようやく目的地に到着します。それにしても、乗った夜行バスはスピード出し過ぎです。インドネシア人の子どもは吐いてましたよ。。。帰りなんか飛ばしすぎて、朝5時~6時到着予定が3時過ぎに町外れのバスターミナルで下ろされてしまって途方に暮れました。
タナトラジャはキリスト教徒の町なのですが、土着文化が色濃く残っています。
一番の特徴はなんといってもその死生観です。この地域の人々にとっては、厳密には「死」という概念が存在せず、いわば病気のようなものだというのです。
現地で知り合ったガイドの方にお願いして、一軒のお宅を訪問させていただきました。
中に入ると、一室に棺が安置されてあります。ただし、中にいらっしゃるのは15ヶ月前に亡くなられた方です。。。
この地方では、死者はまずミイラにして自宅で過ごします。そして、家族は、彼らを病人として扱うため、部屋に入るときは挨拶をし、食事も毎日準備します。
また、別の一室には、同じくミイラとともに、生前の姿を模した人形もありました。
この人形は全員が作るわけではなく、生前の社会的地位が高かった人のみに作られるそうです。
ミイラと生活することで衛生面が気になるところですが、昔はハーブで消毒して、パイナップルの葉で巻いていたそうですが、今では病院でミイラにするための処理を全て行なっているとのことで、訪問した際も全く匂いはなかったです。
ミイラにする理由は主に2つだそうで、1つは単純に「死」を受け入れられないから。
もう1つは一気に現実的で、すぐに葬式費用が出せないから。ただし、のちに述べますがこの葬式費用というのが笑えない金額なのです。
私が訪問した際にも、運良く(通常は7~10月に多く行われるようです。)ある集落で葬儀(rambu solo)が行われていましたので、その一部に立ち会わせていただきました。
一部と言ったのは、葬式自体は4日間にわたって開催されるからです。
初日は、ご遺体を御輿(小さい家みたいな形)のように担いで村を回り、式場に移動します。
二日目は村中の人(2000人~3000人は来るらしいです。)が集まって、歌と水牛を死者にお供えします。
三日目は、葬儀を手伝ってくれた人々にお返しをする日。
最終日の四日目にようやく棺をお墓に納めます。
この地域では、水牛が死者を天国(puya)に連れて行くと考えられています。ちなみに地獄はないそうで、どんな悪いことをした人も天国に行くそうです。
このため、葬儀では水牛を捧げます。その数およそ20~24頭。そしてこの水牛、普通のものでも一頭約25万円します。
これが普通の水牛ですね。
そして、この地域ではツートンカラーのマダラ模様が貴重とされており、その額は時になんと一頭1000万円近くになるそうです。
マダラ模様の水牛、初めてみました。家より高い水牛なんて・・・ガイドさんは冗談で「ランボルギーニ」と呼んでいました。
以上の通り、葬儀には、水牛を揃えるだけでも最低500万円はかかるのです。(他にも豚も供物として捧げたり、死者用の御輿を作ったりと色々かかります。)
日本人ですら厳しい金額ですが、平均月収が約3万円といわれるインドネシア人にとっては比べ物にならないくらいの負担です。道理でミイラにしてまで時間稼ぎをするわけですね。。。
ちなみに、この葬儀費用は日本で言う喪主だけでなく、親族全員で負担します。
この日は運良く?、4日間の中で最も衝撃的な、水牛を捧げるシーンでした。
まずは親族の各代表が集まり、水牛の配分を決めます。先程20~24頭を捧げると書きましたが、その全てを使者とともに葬るわけではなく、だいたい半数は教会や病院、別の村に寄贈し、売ったお金で活動資金に使ってもらうそうです。
この竹棒が水牛の数を表しており、親族間でどこに何頭の水牛を配分するかを話し合います。
この日は24頭中、12頭が死者に捧げられ、残りは寄贈されることになりました。
これが捧げられる水牛たちです。
この後、水牛の首を掻き切り、捧げます。
写真・動画はあるのですが、自主規制の対象です。ご興味がある方は私を見つけた際に仰っていただければお見せいたします。
手慣れたもので、大抵は上手に喉を切るため断末魔を聞くことはないのですが、中には下手な人もいて・・・。
供物とされた水牛は、革は剥いで売り捌き、肉はみんなで食します。ただし、食す量はその人の地位によって分配されます。
全体的な印象としては、実際に亡くなられてから相当期間が経過しているせいか、しめやかな葬儀からは程遠く、お祭りといってもいいような雰囲気でした。なお、逆に結婚式は質素だそうで。
一番印象的だったのは「我々は葬式のために生きている」と言っていたことでした。死者のために生きるなんて大いなる矛盾のようにも感じますが、彼らにとってそれは誇りであるようです。
いかがでしたか?
基本的にインドネシアでも現代ではご遺体をそのまま自宅やその付近で安置することは禁止されているようですが、この地域のみ特例で許されて現代でもこの風習を継続しています。
次回は、タナトラジャの伝統家屋とお墓についてご紹介したいと思います。
それではまた!