インドネシアの裁判制度〜その2 裁判傍聴

Selamat sore!

皆様、こんばんは。

日本は緊急事態宣言も解除されましたが、東京では感染者が微増といった形が続いていますね。やはり世間で言われているように、これからは第2波・第3波が必ず来ることを前提に行動していかなければならないのかもしれません。

 

インドネシアでも、感染のピークは過ぎたと見られているようで、制限を緩和する方向で動いているようです。しかし、そもそもレバラン休暇での帰省を防ぎ切れていない上、聞いたところによると、州境の越境違反者やマスクを着用していない者の処罰が、臀部への鞭打ち(つまり、お尻ぺん○んですね)や腕立て伏せというレベルで実施されているようですから、今後もどうなるか分からない状況ですね。

また、現地の弁護士の話では、インドネシアの労働省がコロナウイルスのコントロール状況が不明の場合、外国人労働者に新しい就労許可を発行しないという方針にしている旨の話も上がっていました。

 

長い闘いにはなりそうですが、皆さん頑張りましょう。

 

さて、今回は、まだ新型コロナがインドネシアで感染確認される前に行ってまいりました、ジャカルタ裁判傍聴の雑感をお伝えしたいと思います。

 

私が訪れたのはジャカルタの通常裁判所です。

入り口に入る前に、東京地方裁判所等と同様に荷物検査があります。

と言っても、東南アジアは大きなショッピングモールレベルでどこでもチェックしているので、この辺りは珍しくないですね。

こちらが入ってすぐのエントランス部分です。

それほど広くはありませんが、豪華な作りでした。

こちらが法廷前の廊下です。どこの国でも裁判所の廊下は重苦しい雰囲気ですね。

その日に行われる裁判は、全て電光掲示板に掲示されるため、友人の目当ての事件(大学の課題として、傍聴結果を報告しなければならなかったようです。)を探して指定の法廷に向かうのですが、全く始まる気配がありません。(係員にも確認しているので、場所を間違えたわけではありません。)

多分1時間後になったんだと思うと係員が言うので、仕方なく裁判所の受付を見学に行きました。

裁判体ごとに受付が分かれている日本の裁判所とは異なり、窓口はここ1箇所のようでした。このため、人で溢れかえっています。

待合室には、いろんな裁判手続きに関する説明書きが置いてありました。

さらに、インドネシアでは、(少なくとも制度上は)オンラインでの裁判手続も進んでおり、e-courtの窓口もありました。P Cを持っていない人用ですかね?

いまだにF A Xでのやり取りが続く日本でも早急に進めて欲しいところです。

 

1時間ほど時間を潰して元の法廷に戻りましたが、全く始まりそうにありません。

このままでは無駄足になってしまいそうなので、すでに開廷していた法廷に移動しました。

 

そこでは、法学者を呼んで賄賂罪が成立するかどうかの尋問を行っていたのですが、まず傍聴席のラフさに驚きます。日本ではカメラで法廷を撮影することはおろか、携帯電話を取り出して使用することすら禁止されているのですが、なんと、傍聴席で携帯を充電しながらゲームをしているじゃないですか!!

さらに他の大きめの法廷でも、一眼レフで写真を撮影していても裁判官は何も文句を言いません。。。これは日本の弁護士としてはカルチャーショックでした。私も撮影してみようかと思いましたが、一応は禁止事項のようでしたので控えました。

 

また、傍聴した尋問が専門家に対するものであったせいかもしれませんが、質問が全く一問一答形式になっていませんでした。弁護士がずっと話していたかと思いきや、今度は法学者が回答で延々と話し続けるといった具合です。裁判記録と言うか証言記録はどうやって残しているか不思議です。。。

 

1時間ほどかけて2つの法廷を見て回ったのち、最初に訪れた法廷を再度覗いて見ましたが、最後まで始まらないままでしたので、諦めてその場を後にしました。

 

いかがでしたが?

予想はしていたのですが、法廷の遅延はショックでした。せいぜい30分くらいの遅れならばわかるのですが、2時間以上過ぎても係員も慌てる様子はなさそうです。時間が読めないインドネシアは裁判の時間すら読めないことを痛感しました。

 

それではまた次回!

 

おまけ

訪れたジャカルタの裁判所では、エレベーターが見当たらず、皆、外の廊下と階段を使って移動していました。こちらが、その廊下から外を撮った写真です………隣家が近すぎませんか?

入り口でいくら荷物検査したところで、これなら隣家から火炎瓶等を投げ入れることは十分に可能な距離です。東南アジアのショッピングモールの荷物検査と同じで、裁判所の警備も形式的なものに過ぎないようですね。

インドネシアの裁判制度〜その1 制度概要

Selamat siang!

まだ感染拡大がインドネシアではそれほど大きな事態となってはいなかった3月某日に、友人に誘われてジャカルタの裁判を傍聴してきましたので、今回はインドネシアの裁判制度の概要をご紹介し、次回に私が傍聴したときの様子をお伝えしたいと思います。

 

インドネシアには最高裁判所とその下に設置される通常裁判所があるところは日本と同じですが、最高裁判所の管轄に、さらに宗教裁判所、軍事裁判所、行政裁判所があります。

宗教裁判所は、名前こそ「宗教」となっていますが、ここでいう宗教はイスラム教を指し、イスラム教徒の婚姻関係などを判断する機関です。イスラム教は他の宗教と違い、その戒律が実生活を法規範として拘束するレベルとなっているのでこのような事態になるのでしょうね。

 

こちらは私が所属するJ I L A(日本インドネシア法律家協会)で2017年に最高裁判所を訪問した際の写真です。

外にはジャカルタの象徴・モナスも見えます。

建物の最上階は、ドーム上になっており、最高裁判事が集まって議論ができるようになっています。しかし、写真を見ておわかりの通り、ものすごく広いのです。インドネシアには最高裁判事が約50名いらっしゃる(その時々で人数が変わります。。。)ので、これぐらいの広さにしなければならないのかも知れませんが、円形上に座席が配置されているため、端と端では互いの顔は見えなさそうですね。そもそも、この形、近くのモスクとそっくりなような。。。

さて、通常裁判所は日本と同じように、地方裁判所と高等裁判所があります。私が傍聴したのもこの通常裁判所です。また、通常裁判所には、専門性の高い労働事件・商事事件などの特別裁判所が設けられているところもあります。

以前、J I L Aでインドネシアの司法研修所(日本とは違い、裁判官のみが研修を受けることができるようです。)を訪問した際、裁判官の仕組みとして、通常裁判所の人事は一方通行だと聞いたことがあります。例えば、日本では、はじめは地方裁判所の左陪席(3人の裁判官のうち、法廷で左に座る人で、若手の裁判官が務めます)からスタートしても、その後に地方裁判所の右陪席→裁判長となるとは限らず、大抵は、途中で高等裁判所の左陪席や右陪席を経験して、地方裁判所の裁判長となり、そこからさらに高等裁判所の裁判長へと進んでいくように思います。これに対し、インドネシアでは、地方裁判所の左陪席から始まるところは同じでも、そのまま地方裁判所の右陪席→裁判長を経て、高等裁判所の裁判官となるようで、高等裁判所の裁判官が地方裁判所に戻ることは原則としてないようです。データを調べたわけではないので確証はないのですが、もし本当だとすると、若手は経験豊かな裁判官と仕事を共にする機会が少なく、人材育成の観点からは些か問題がありそうですね。

さらに、インドネシアの特徴として、最高裁判所とは別系統で憲法裁判所が設置されています。こちらの写真が、2017年に同じくJ I L Aで憲法裁判所を訪れた際のものです。

憲法裁判所内には、インドネシアの憲法史が分かる資料館もあります。もちろん全てインドネシア語での説明ですが。。。

最高裁判所が違憲審査権を有する日本とは異なり、憲法裁判所が別途設置されている点が特徴的です。この憲法裁判所、実は普通とは異なり一発勝負なんです。つまり、日本のように憲法問題を地方裁判所から最高裁判所まで最大3回審理するのではなく、最初から憲法裁判所に訴訟が提起され、憲法裁判所の判断が最終決定となります。

 

いかがでしたか?

次回は裁判傍聴に行ったときの様子についてお伝えしたいと思います。

 

それではまた次回!

レバラン休暇

Selamat sore!

インドネシアでは昨日でラマダンが終わり、今日からレバラン休暇です。

私は日本に一時帰国していますので現地での体験をレポートすることは残念ながら叶いませんでしたが、折角ですので以前のラマダンに引き続きレバランについても少し説明をしたいと思います。

 

ご存知の方も多いとは思いますが、レバラン(Lebaran)は、イスラム教徒における断食明け大祭のことを言います。

レバランはインドネシア語ですが、アラビア語を元にしたイドゥルフィトリ(idul fitri)という名前でも呼ばれています。

インドネシアでは、レバランの初日に「selamat idul fitri semuanyaa. mohon maaf lahir & batin」という挨拶を交わすのが習わしのようです。直訳しますと「イドゥルフィトリおめでとう。体と心ごめんなさい。」と言ったところでしょうか。なんでも、断食明けにイスラム教徒の人々はこれまでの体と心に対して行った良くないことについて謝るんだそうです。私が通っていたインドネシア大学法学部のインターナショナルコースの学生は、ハロウィン会etcの写真を見ているとお酒を嗜んでいたような気がするんですが、ここで謝ることで全て清算するんですかね?

また、レバランはhari kemenangan(勝利の日)とも言います。これは、一ヶ月に及ぶ断食期間(ラマダン)でそれまでの罪と戦い、断食期間の終了によってこの罪に打ち勝ったことになるそうで、レバランはこの勝利記念の日でもあります。

イドゥルフィトリの祝日自体は今日から明日の2日間(ラマダンの回でもご説明した通り、毎年日付がズレますのでご注意を!)なのですが、イドゥルフィトリの前後2日間も政令指定休日となりますので、最低6連休になります。このため、この期間を利用して里帰りや旅行をする人が多いそうです。私もこの休暇を利用してインドネシア人の友人家族とカリマンタン島南東部を旅行する予定だったのですが、新型コロナウィルスのせいで当然中止になってしまいました。。。

いかがでしたか?

インドネシアでは、労働法にも雇用主が全ての宗教に配慮しなければならない規定があるなど、自分の宗教だけではなく他の宗教についても知っておく必要がありますので、これからも様々な宗教行事についてご紹介していきたいと思います。

 

ではまた次回!

インドネシア大学生活(日常編)

Selamat sore!

皆さんこんにちは。

 

日本ではコロナの感染拡大もようやく終息への道が見えてきましたが、長期化させないためにももう一踏ん張りですね。

他方、インドネシアでは大規模社会制限の実施がジャカルタ及びその周辺だけでなく、地方の州まで広がりつつあります。(ちなみにインドネシアは34の州から構成されています。)先日お伝えしました通り、今年は5月24日頃からレバラン(断食明け休暇)が始まりますので、ここがインドネシアにおける正念場とも言えます。

 

私の所属するインドネシア大学法学部は期末試験の真っ最中です。他学部は元々レバラン明けに試験を行うようでしたが、法学部は結局当初の予定どおりスケジュールをこなしてしまいました。最後の帳尻合わせの急ピッチさはどこの国も同じでしたが、うまく期末試験事態は、Googleのclassroomなどを活用してうまくこなしていました。このあたりの柔軟性はさすがというべきですね。

 

さて、前回はコロナ影響下の大学生活の様子についてお伝えしましたが、これまでインドネシアでの大学生活がどのようなものかを書いていなかったような気がしますので、この辺りで記憶を頼りに記しておきたいと思います。

 

大学生活の中心は何と言っても講義ですね。

当たり前と言われるかもしれませんが、少なくとも私の学部時代の実態は決して講義中心の大学生活とは言えないものでした・・・。

しかし、ここでは実際に講義中心の生活を学生が送っていると言っても過言ではありません。要因はいくつかありますが、最たる理由は講義の時間数ですね。

まず、1つの講義が通常(少なくともスケジュールの上では)2時間半あります。それも休憩なしで。そのような講義が1日に2〜3つ入っています。

ただし金曜日は比較的授業が少ないように感じました。この辺りも金曜日を安息日とするイスラム教に対する配慮でしょうか。あと、実際に2時間半やるかどうかは、教授の気分しだいです。やることもままあります。

そして、もう一つの要因が、課題の多さです。どの講義も基本的に課題が毎週のように出されます。その多くがグループワークで、他の学生の前でプレゼンテーションを行うこともしばしばです。

私が所属していたクラスはインターナショナルコースであったため、プレゼンテーションも、その後の議論も全て英語でした。

突然インドネシア語に切り替わるパターンも多々ありましたが、それでも学生たちの英語力には本当に毎回驚かされていました。

その反面、学生のプレゼンテーションが長々と毎回行われるせいで、教授から体系的に学問を学ぶことはできません。このあたりのバランスは難しいところですね。友人の学生はパワーポイントの作り方ばかりがうまくなると嘆いていました。

 

このように講義が忙しいため、学生のほとんどはアルバイトを行うことがありません。(そもそも雇用自体も募集がなさそうです。)

もっとも、これは忙しいからというだけでなく、彼らの多くが富裕層だからというのも大きな要因です。半数は車で学校までやってきますし、私の所属していたクラスには、前大統領のお孫さんや、有名人夫婦のお子さんもいました。(ただし、二人とも権威を振りかざすような態度をとらないので、全然気づきませんでした。)

ただし、学生もお金を稼ぐチャンスがあります。それは、インターンシップです。

日本でも最近は給与付きのインターンシップが増えてきたように思いますが、インドネシアではインターンシップは給与付きがスタンダードなようです。期間も2カ月から3カ月と、学期間の休校期間のほぼ全てを費やす形となっています。

このように書いていると、インドネシア大学の学生は日本の学生よりもはるかに勤勉のように聞こえますが、ちゃんと若者らしい面も備えています笑

サークル活動は盛んで、大学の広場のあちこちで車座(文字どおり車座です。みんな地べたに何時間も座っています。。。。)を作っている光景が見られます。

この辺りも写真にとっておけばよかったですね。。。

以前のブログで記載しましたが、私も隣の経済学部の登山サークルに混ぜてもらい、山に登ったこともあります。

他にも様々なイベントを自ら企画しては実行していくインドネシア大学の学生たち。内容・計画のレベルはともかく、その行動力には目を瞠るばかりです。

 

最後は恋愛事情ですね。イスラム教徒の多いインドネシアですが、他のイスラム教国ほどは厳しくない(アチェ州は除きます。たとえ外国人でも未婚のカップルで同州を歩かないでください。)というのもあり、大学校内や近くのカフェでよく手を繋いで話をしているカップルを見かけます。ただし、イスラム教徒の周りの目もあるので、日本のように自由奔放にとはなかなか行かなさそうですね。旅行している若いインドネシア人カップルを見かけることはなかったように記憶していますし、カフェで閉店時間までのんびり話をするくらいが一般的な過ごし方なのかもしれません。もちろん個人差はあるのでしょうが。

 

いかがでしたか?

私の大学生活は10年以上前のことですし、去年まで指導していたのも法科大学院という特殊な場所でしたので、今の普通の大学生の生活は分かりませんが、インドネシア大学で一番驚いたのは、やはり講義のやり方でしたね。ただ、1コマ3時間ぶっ続けは無理だと思います。。。退屈な授業なんか、みんなオンラインで、クラス全体参加のゲームを始めてますよ、先生方。。。

 

それではまた次回!

コロナ下の大学生活

Selamat siang!

皆様こんにちは。

せっかくのゴールデンウィークですが、ご自宅でいかがお過ごしでしょうか。

私はと言いますと、インドネシアにはゴールデンウィークは存在しないため、今日も通常通りの平日です。

そこで今日は、私が通うインドネシア大学での講義が現在どのようになっているかについてご紹介したいと思います。

 

インドネシアでは、初の国内感染者が3月2日に確認された後も、しばらくは通常の講義が行われておりました。もともとマスクをつける文化は(大気汚染のせいで)あったのですが、コロナのためにマスクをつけるという人は当初はほとんどいなかったですね。ただし、次第にマスク着用率は増えていきましたね。

 

しかし、3月15日頃より通常の講義は全て中止となり、今学期の全てがオンライン講義で行われることが決定しました。

さらに、元々は6月20日頃に終了するはずだったのですが、大学全体としては7月末日まで延期されてしまうこととなりました。

これにより、今年の9月から大学院に行く学生は留学時の成績表が院試に利用できない可能性が出てきたり、9月から留学を検討していた全ての学生が中止に追い込まれたり、インドネシアの就活には大きな影響を持つインターンシップが中止になったりと、ウィルスのおかげで大学生活の貴重な時間に重大な影響を受けている学生の嘆きを見聞きするようになりました。

 

もっとも、私が所属する法学部だけは何故か通常通りのスケジュールよりも更に早い日程で終わらせることにしており、5月末には全ての試験が終了する予定です。

おそらく、インドネシアの大学では文系・理系に限らず実地での調査が課題となることも多い(よくアンケートの回答依頼のフォームが他の学生から送られてきます。)ことから、そのような対外活動が必要な学部は大きく方針を変更する準備期間が必要となったものと思われます。

これに対し、法学部は基本的に何かを調査・検証する作業は不要なため(これでよく社会科学と言えたものです。。。)条文とインターネットがあれば講義ができてしまうため、コロナによる日程変更は生じませんでした。

しかも、他学部は今年のラマダン・レバラン期間に配慮し、元々のスケジュールでもレバラン後の5月下旬から期末試験を実施する予定だったのですが、法学部だけは何故か元々レバラン前に全ての試験を終わらせることを予定しており、今のところもこのスケジュールのまま進んでいます。(つまり、イスラム教徒の学生にとっては、頭に当分を接種できず、水も飲めない状況で試験を受ける羽目になることを意味します。)

 

このように書くと、法学部だけは大きな混乱がないようにも思えますが、残念ながら全くそんなことはありません笑

私が感じる一番の大学の問題は、誰も合意内容や決定を明示しないということにあるように思います。例えば、インドネシアでは、各教授のスケジュールに対する裁量がかなり広く、大学全体が延期を決定したとしても、各学部、そして各教授の一声ですぐに結論が変わってしまうことがよくあります。しかし、その割に、各教授は講義予定日当日、早くても前夜まで、次の講義をどうする予定か宣言しないため、毎回混乱が生じます笑

 

さて、個々の授業は日本でも現在多く利用されているZoomというアプリケーションを使って行われています。インドネシア大学では、学部レベルでも対話形式での講義が多いですが、オンラインだとなかなかうまく行かないですね。初めの頃はオンラインでも教授が対話形式でやろうとしていたのですが、学生が同時に質問・回答しようとするため頻繁に混線してしまっていた結果、もうあまりやらなくなってしまいましたね。Zoomにはチャット機能があるので、少なくとも学生からの質問はチャットの方で受け付ければ済む話なのですが。。。

 

オンライン講義最大の謎が、全く予定の日時通りに始まらないことです笑

元々時間を守らない国民性ではありましたが、それは渋滞のためもあるのかと思っていました。しかし、外出自粛下でも状況が変わらないことに鑑みるとどうやらそういうわけではなかったようですね笑

実はこれを書いている今も、本来であれば講義の時間なのですが、教授が何故か全く連絡が取れない事態に陥っており、1時間経過後に自然消滅したようです。(しかし、先週はここから突然何事もなかったかのように始まった講義もあったので油断は禁物です。)

インドネシア留学に来て一番学んだことは、インドネシア人との付き合いでは、最後の最後まで状況把握に努めなければならないことですね。本当によく確定事項が変わりますし、そもそも確定しないまま予定日時を迎えることもあります笑

 

でもオンライン講義への対応の早さは日本にはない素晴らしさでした。日本のように段階的な決定や承認プロセスを経ないため、やるとなったら方式が全く決まってなくても走り始められる強みを持っています。この辺りは見習わなければならないところですね。

 

さて、この記事を書いていて気づいたのですが、そう言えば普通の大学生活について書かずに異常事態の学生生活を記事にしていたことに思い至りました。そこで、次回はこれまで私が経験したインドネシア大学での学生生活について、記憶を辿りながら書いていきたいと思います。

 

それではまた次回!

 

ラマダン(断食月)

Selamat siang!

皆様、こんにちは。

 

日本はG W期間に代わり、先週末からS T A Y H O M E週間と銘打って外出自粛を促していますが、インドネシアでは4月23日よりラマダン(断食月)に入りました。

 

ご存知の方も多いと思いますが、今回はこのラマダンについて簡単に説明したいと思います。

ラマダンは日本語では断食月と訳されますが、イスラム教徒のうち健康な人が、日の出から日没まで(精確には夜明けの礼拝前から日没直後の礼拝までのようです。)、水を含む一切の飲食を断つ行為で、断食「月」というように約1ヶ月間続きます。

ラマダンは、イスラム暦(太陰暦)に基づくため、太陽暦の現在だと毎年行われる期間が異なるため注意が必要で、今年は4月23日から5月23日です。

余談ですが、以前インドネシア語の先生に、「期間が毎年変わるとすると、例えば白夜の時期に北欧に住んでいる場合はどうなってしまうのか?」と質問したことがありますが、結局その人の解釈次第だそうです笑。ただし、ラマダンも無理を強いるものではないため、そのようなときは、例えばメッカの時間帯に合わせて断食することも考えられるとのことでした。ちなみにその方曰く、最近だとアプリで、各地での断食の正確な時間をアラームでセットすることもできるとのことでした。

ラマダン期間中、イスラム教徒は早起きして日の出前に食事を済ませ、日中の断食に備えます。先ほどのインドネシア後の先生はお子さんが3人もいらっしゃるため、朝2時に起きて朝食を準備すると言っていました。。。

(日本でA M2時は深夜2時ですが、インドネシア語で「朝」を意味する「pagi」は深夜0時頃から使用します。さらに話が飛びますが、深夜0時って英語だと「12 a.m.」になるんですね。日本語だと「午前0時」ですので勘違いしており、他の留学生やインドネシア人に指摘されて初めて知りました笑。)

 

さて、話をラマダンに戻しますが、先ほど「健康な人」と言ったのは、病人はこの義務を免除されるからです。また、健康な場合であっても旅行期間中は免除されるようです。さらに、高齢者や妊婦も体調に応じて一時的に免除されます。

 

ラマダン期間中は、当然といえば当然ですが、インドネシア人の日中の活動量が落ちるようです。このため、特に午後は仕事も捗らないため、打ち合わせを午前中に集中させるなどして対応していると聞いたことがあります。営業時間を変更する企業もあるようですが、友人に先ほど聞いたところ基本的には普段通り仕事はするようにしていると言っていました。そもそも普段からそれほど濃密に業務時間をこなしているわけではないので、日本の方が思う普段通りとは違いますが・・・。この辺りは、来年のラマダン期間中に体験してみたいところです。

私が通うインドネシア大学も、基本的にはラマダン期間中は避けて期末試験を行う日程になっていました。

 

日没後は家族や友人と集まって食事をするのが習わしで、みんなで楽しみます。

つらいラマダンの後には、レバランと呼ばれるラマダン明けを祝う休暇(インドネシアでは正式な休暇自体は2日間しかないですが、前後3日間に政府が有給休暇一斉消化日を設ける他、企業ごとにさらなる休暇を設けている場合があります。)があり、ムスリムもそうでない人も帰省したり旅行に行ったりします。

しかしながら、今年のラマダン・レバランはコロナウィルスの影響で大きく制限されています。先ほど述べたとおり、レバラン休暇期間中だけでなく、ラマダン期間中も夕食を家族(親戚も含む場合が多いです。)や友人が集まって食べる習慣があるので、感染リスクが高いと判断され、4月24日から5月31日までのラマダン及びレバラン期間、帰省禁止措置に伴う移動制限に関する運輸大臣令を発布しました。これにより、大規模社会制限の対象地域等から出入域する陸海空の公共交通の移動手段の運行・使用が禁止されています。

ラマダン期間中はイスラム圏にとっては日本の年末商戦のようなものですので、経済的にも文化的にもダメージが大きいですね。

私自身、本来であれば友人と一日ラマダン体験を行ってみるつもりでしたので極めて残念ですが、また来年にcoba(「チョバ」と読み、インドネシア語で「試す」の意味です。)してみたいと思います。

 

それではまた次回!

フローレス訪問〜その2 フローレス島

Selamat pagi!

 

皆さま、おはようございます。

 

今回は前回に引き続き、ヌサトゥンガラ諸島のフローレス島について書いていきたいと思います。

 

前回の記事に記載しましたとおり、このあたりの名物といえばなんといってもコモドドラゴンですが、フローレス島には他にも面白い自然や文化がたくさんありますのでご紹介したいと思います。

こちらは、フローレス島の中央よりやや東側にクリムトゥ山というところです。この山の山頂部に火口湖が3つあり、しかもそれが時間によって色が赤やエメラルドグリーンに変化するというなんとも神秘的な場所です。

私が訪れた際は雨季の初めで、残念ながら雲も多く、色の変化は見ることができませんでしたが、オススメの場所です。

ただし、行くのはなかなかに大変で、西の拠点ラブアンバジョから乗合バスで丸一日、またはエンデという島中央部の街に飛行機で向かったのち乗合バス等で2時間ほどかけて山の麓にある村に向かい、そこで一泊して早朝に軽い山登りをして朝日を目指します。登山自体は多少舗装された道をせいぜい1時間くらい登れば着くのですが、暗闇の中、道案内もない中で進むので、なかなかの恐怖感でした。

 

次に訪れたのがバジャワ町で、イネリエ山(現地語で偉大なる母という意味だったと思います。)の麓にあります。

こちらがそのイネリエ山です。山の形が非常に綺麗な独立峰でした。一日かければ登山することもできたようですが、時間がないので諦めました。この辺りはインドネシアといっても気温が非常に寒く、夜は10度台まで冷え込むこともしばしばですのでご注意を。

このイネリエ山を背景にして古くからあるベナ村は、このフローレス島でも古い村のようで、今でも昔ながらの伝統を守って生活しています。

バジャワ町も含め、フローレス島はインドネシアでは珍しくカトリック教徒が多い地方で、ベナ村もカトリック教が中心です。ただし、日本の神仏混合のように、現地のアミニズムと融合しているようなところもあり、非常に興味深い場所でした。

村の集落は密集していますが、それほど大きくはありません。

屋根の上には各家庭にsakapuuと呼ばれる人形が置いてあり、人形の持ち物が各家庭によって違うそうです。

集落の真ん中には広場と、昔のお墓があります。

広場にはこのように小さい屋根の形をしたものが左右に並ぶ場所があります。それぞれ、男女を表したものらしいのですが、使い方はよくわかりませんでした。お祭りの時にでも使うのですかね?

他にもおそらく祭壇と思われるオブジェもありました。

この村最大の特徴は、世界でも珍しい母系主義にあると思います。詳しいシステムは分かりませんでしたが、今でも女性が家長として各家庭を切り盛りしているようです。

調理器具も昔風です。この日は軒先で豚を煮ていました(カトリックなので食べられます。)。混ぜる道具も竹の一種を割っただけでしたが、匂いは美味しそうでした。もう人るは、竹を使った蒸し焼きも置いてありました。こっちは鶏肉だそうです。日本の伝統手法に似てますね。

ベナ村の近くには地元の人もよく来るという温泉があるというので、立ち寄ってみました。

これが温泉です笑

全然思っていたものとは違いましたが、川に右の支流から熱湯が流れ込んできて、それが本流の冷たい水と混ざりますので、自分でちょうどいい温度の場所を探し当てて入ります。

地元の子たちに、手で作る水鉄砲を教えて仲良くなりました。

驚くことに、この子たち、10歳未満だと思うのですが、簡単な英語が話せます。コモドツアーに乗っていた14歳の子も英語が日常会話の英語は問題なく参加していましたし、インドネシアの若い人たちの語学力にはいつも驚かされます。

ベナ村の近くで、下だけが焼け焦げている林を発見しました。イネリエ山では最近山火事が発生したと言っていましたのでそれかと思ったのですが、これは焼畑農業だそうです。バイクでバジャワ町をあちこち紹介してくれたお兄さん曰く、焼畑農業は、燃やして肥料にするというよりは、茂みに潜むヘビ等を追い払うためにやっているということでした。

さて、フローレス地方はいかがでしたでしょうか。

ここにも書ききれないことがたくさんあって、魅力満点の場所でした。交通手段があまりないので、旅慣れていないと難しい場所ではありますが、ぜひ機会があれば訪れてみてください。

それでは、また次回!

おまけ

今回記載したクリムトゥ山やバジャワは一人で訪れたのですが、コモド島やその他の地域は、ジャカルタでお世話になっている家族と一緒に旅行しました。

このご家族、以前にもご紹介したことがあるのですが、お父さんがこのフローレス島の村出身で、親戚との食事会にも参加させてもらいました。

親戚の集まりと言っても人数が20人以上ですので、弁当スタイルではなく、料理鍋や炊飯鍋ごと持ち込んで食べるビュッフェスタイルです。

みなさん、いつも親切にしてくださいます。

ワリディアー!

(現地の民族の言葉で「ありがとう」の意味です。インドネシア語ではありませんので、フローレス島でも他の民族には全く通じません。)

フローレス訪問〜その1 コモド国立公園

Selamat sore!

最近はコロナのニュースばかりで気が滅入ってしまっていますね。

そういえば、留学していて初めて知ったのですが、うがいって日本の文化で他国ではしないんですね。うがいしていたらドイツ人にびっくりされて逆にびっくりしました。

 

今回は、だいぶ前の話題で恐縮ですが、去年のクリスマスに訪れたヌサトゥンガラ諸島のコモド国立公園とフローレス島を、2回にわたってご紹介したいと思います。

 

日本の方にはヌサトゥンガラ諸島と言ってもピンと来ないかと思います。しかし、コモドドラゴンがいるあたりといえば、某バラエティ番組がきっかけでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

ヌサトゥンガラとは「南東の島々」という意味だそうで、ジャカルタがあるジャワ島からはかなり東にあります。ジャカルタからみるとバリ島よりもさらに東に位置します。ジャカルタから直行便のあるフローレス島のラブアンバジョ空港でも約2時間半の場所ですね。ジャカルタ直行便は本数が少ないので、日本から訪れる場合はバリ島を経由するのが一般的かもしれません。

 

今回は世界遺産・コモド国立公園についてご紹介します。

コモド国立公園には、フローレス島のラブアンバジョという町から、船で行くのが一般的かと思います。私もラブアンバジョから船の一泊二日のツアーに参加しました。

朝出発のツアーですが、飛行機で早朝に到着する便はなかったので、前泊しがてら、ラブアンバジョの魚市場にも立ち寄ってきました。

鮮魚もおいてありましたが、どちらかというと干物が多い印象でした。写真は撮り忘れましたが、ホタルイカサイズのイカの一夜干しを買いました。値段も忘れてしまいましたが、一キロ1000円もしない金額だったように思います。このフローレス島はカトリックの町なので、お酒もある程度飲めましたので、ホタルイカ?は道中のおつまみとして美味しくいただきました。

市場から町の中心に歩く海沿いの道には、先ほど売られていた干物を干している姿が散見されます。

周りにゴミとハエがたくさん集まっているのを見ると、買う気が無くなってしまうのでやめた方がいいと思うのですが。。。

 

先ほどの市場とは別に、夕方になると鮮魚屋台が通りに集まって、賑わっています。お客さんは並んである魚を選び、調理法を指示すればその場で食べることができます。値段は交渉次第ですが、丸々一尾を買わなければいけないので、そんなに安くはないです。小さいもので700円、大きいものだと2000円近かったと思います。

色とりどりの魚が並んでいて、南国の雰囲気満載でした。

私は東京では食べられなさそうなこの魚を選んでみました。

調理後の写真がこちらです。

私は単純に焼いてもらいました。Ikan bakar(焼き魚)と言います。

 

さて、いよいよ出航です。

ラブアンバジョの町は小さく、全部歩いて回れるくらいのサイズ感ですので、港もすぐ近くでした(ただし、入り口が変なところにあるせいで、大回りしなければなりませんでしたが。)

手前のボートに乗り、写真の奥に止まっている船に乗り移ります。浅瀬のためそんなに大きくない船でも桟橋につけられないんでしょうね。これはインドネシアの他の地域でもよくあります。お年を召した方にはかなり大変です。

乗るのも小さめの船ですが、船中泊ができるようになっており、夜は他のツアー参加者とデッキで団欒できます。

コモド国立公園で一番有名なのはコモド島だと思いますが、コモド国立公園は他にもリンチャ島、パダール島が含まれています。私が訪れた際は、コモド島は潮流の関係で行けないと言われてしまい、リンチャ島に上陸しました。

ちなみにこの国立公園、外国人の入場料が一日4000円近くします。滞在ビザ(KITAS)持っていれば現地価格になるはずなんですが、現地のオペレーションでは、大学から訪問許可の書面を持っていないと値段は下げないの一点張りでした。

また、1グループに2人のガイド兼監視役?の人が木でできた刺股を持ってきてついてきます。ただ、時速約20kmで走るとも言われているコモドドラゴンに本気出された場合、刺股で勝てるのかは甚だ疑問です。

ここでの目玉はなんといっても世界最大の爬虫類・コモドドラゴンです。

流石の大きさと迫力でしたが、訪れたのが昼間ということもあり、暑くて管理棟の下でだらけていたため、全然野生のコモドドラゴンという感じはしませんでした。あと、近づくとガイドの人から怒られますのでご注意ください(怒ってる声にコモドドラゴンが反応して襲ってこないかの方が心配でしたが。)

こちらはコモドドラゴンの巣です。

コモドドラゴンは、1個体が30個ほどの卵を産むそうですが、成体まで生き残ることができるのは20%程度だそうです。残りの80%は他のオオトカゲに食べられたり、成体のコモドドラゴンが赤ちゃんを食べてしまうそうです。。。

このコモド国立公園ツアーでは、コモドドラゴンのいる場所にも、他の島やビーチを訪れることができます。海がとても綺麗な地方で、併せて楽しめますのでオススメです。

次回は、フローレス島の自然・文化についてご紹介したいと思います。

それではまた次回!

コロナウィルス インドネシアの状況〜その2

Selamat malam!

新年度がやってきましたが、今年度は新型ウィルスのせいで波乱の年度となりそうですね。

一刻も早く事態が収束することを願ってやみません。

さて、今回は先月末までのインドネシアにおけるコロナウィルス対策について、見聞きしたところを書いていこうと思います。

私は先週帰国したのですが、その際はまだインドネシアからの搭乗者に対する空港での検査はそれほど厳しくなく、サーモグラフィーで熱がある人のみを検査対象としているようでした。

ただし、大使館からの情報では、私が到着した日の翌日から、インドネシアからの搭乗者に関しても全検検査の対象とする予定でしたので、今は状況が様変わりしていることと思います。

インドネシアでは、今年の3月2日まで感染者が確認されていなかったこともあり、それほど深刻には捉えられてなかったように思います。前にも書いた通り、インドネシア人は冗談で「普段からウィルスに慣れてるから、感染者がいないんだ」等と言って、特に対策はとっていませんでした。おかげで、日本で騒がれ始めた2月中はマスクも消毒液も普通に購入することができていました。

インドネシアで状況が大きく動き出したのは、感染者が徐々に増えてきた3月15日に、ジョコウィ大統領が声明をだした頃からのように思います。学校の閉鎖等が決定し、声明当日は私が通っていた大学の近くのスーパーでも買い付け騒ぎが起きていたようですが、その後に私がスーパーに行った際は品揃えに問題はありませんでした。

また、インドネシア、特に都市部で普及しているGojekとGrab(前者はインドネシア国内、後者はシンガポールの会社ですが、いずれも配車サービスや宅配サービスを中心にインドネシア国内で様々なサービスを展開しています。)に関しても、少なくとも配車・宅配サービスは機能していましたので、おかげで日常生活で居住するアパートメントの敷地から外出をする必要はほとんどありませんでした。

他方、ジャカルタの娯楽施設は3月15日以降全て閉鎖されたようです。

インドネシアの特殊性として、国民の約90%を占めるイスラム教があります。

3月15日にジョコウィ大統領が「家で祈ろう」と呼びかけて以降も、私の近所のモスクは一日5回、お祈りの呼びかけを続けていました。また、アルコールを許さない宗教というのもあり、アルコール消毒はポピュラーとは言えないように思います。ただし、今回の事態によって変わるかもしれませんね。

国民に消毒の文化がない一方で、政府は必死にコロナウィルス対策に取り組んでいます。

写真は、手続きのために外出した日の風景です。

消防車のようなものを使って、沿道に薬品と思しきものを散布していました。

3月31日の情報では、ジョコウィ大統領は、さらなる外国人の入国規制を打ち出し、滞在許可のない外国人による全てのインドネシア訪問及びインドネシアでのトランジットを当面停止する旨を発表しました。

世界中で移動の自由に対する制限が厳しくなっていく様をみるのは非常に辛いですが、人命最優先ですから、この流れは止められないですかね。。。

それではまた次回!

一時帰国

Selamat sore!

皆様、こんにちは。

インドネシア留学のブログとしてこれまで記載しておりましたが、コロナウィルスの影響のため、私も止むを得ず一時帰国することになってしまいました。

まだまだインドネシア国内で学びたい事、行きたい所も数多くあった中での帰国となり非常に残念ではありますが、再び訪問できる日を期待して今は日本でできることにフォーカスしたいと思います。

しかしながら、帰国後もインドネシア大学への留学自体は現在も継続中です。というのも、私が現在所属するインドネシア大学を含む多くのインドネシアの大学はオンライン講義に切り替わりましたので、日本にいながらにして講義を受講することが可能なのです。したがいまして、本ブログもこのままインドネシア留学ブログとして引き続きレポートしていきたいと思います。

このような柔軟さがインドネシアの最大の長所だと私は思います。今回のような事態になった際、今まで全く行っていなかったオンライン講義の方法に切り替え、細かいことは走りながら考えるという柔軟性は、全てをしっかり決めてからじゃないと物事を始めない日本にはない感覚だと思います。ただし、この柔軟性は、逆にいうと、事態がコロコロ変更することを意味するのですが。。。

オンライン講義はもちろん外出しなくていいので楽ではあるのですが、留学生にとっては時差の問題が生じます。幸い、日本はジャカルタから2時間の時差しかないので問題ないのですが、ヨーロッパからの留学生は大変そうです。なにせ、ジャカルタが朝8時のときヨーロッパは深夜3時頃なのです。。。試験もオンラインでジャカルタ時間を基準に行われるため、彼らは明け方に試験を受験するという事態が発生しているようでした。

このような感じで、インドネシアもコロナウィルスと戦いつつ順応しているところです。

大学以外でのインドネシアのコロナウィルスに関する状況については、次回お届けしたいと思います。

それではまた次回!