一時帰国

Selamat sore!

皆様、こんにちは。

インドネシア留学のブログとしてこれまで記載しておりましたが、コロナウィルスの影響のため、私も止むを得ず一時帰国することになってしまいました。

まだまだインドネシア国内で学びたい事、行きたい所も数多くあった中での帰国となり非常に残念ではありますが、再び訪問できる日を期待して今は日本でできることにフォーカスしたいと思います。

しかしながら、帰国後もインドネシア大学への留学自体は現在も継続中です。というのも、私が現在所属するインドネシア大学を含む多くのインドネシアの大学はオンライン講義に切り替わりましたので、日本にいながらにして講義を受講することが可能なのです。したがいまして、本ブログもこのままインドネシア留学ブログとして引き続きレポートしていきたいと思います。

このような柔軟さがインドネシアの最大の長所だと私は思います。今回のような事態になった際、今まで全く行っていなかったオンライン講義の方法に切り替え、細かいことは走りながら考えるという柔軟性は、全てをしっかり決めてからじゃないと物事を始めない日本にはない感覚だと思います。ただし、この柔軟性は、逆にいうと、事態がコロコロ変更することを意味するのですが。。。

オンライン講義はもちろん外出しなくていいので楽ではあるのですが、留学生にとっては時差の問題が生じます。幸い、日本はジャカルタから2時間の時差しかないので問題ないのですが、ヨーロッパからの留学生は大変そうです。なにせ、ジャカルタが朝8時のときヨーロッパは深夜3時頃なのです。。。試験もオンラインでジャカルタ時間を基準に行われるため、彼らは明け方に試験を受験するという事態が発生しているようでした。

このような感じで、インドネシアもコロナウィルスと戦いつつ順応しているところです。

大学以外でのインドネシアのコロナウィルスに関する状況については、次回お届けしたいと思います。

それではまた次回!

コロナウィルス インドネシアの状況について

selamat malam!

 

タイトルの通り、コロナウィルスの状況についてお伝えします。

本日、3月2日現在、インドネシアにおいて初めて新型コロナウィルスの感染者が2名発生しました。それも、ジャカルタではなく、私の住む町デポック(ジャカルタの隣で、日本でいうと埼玉的な場所です。)で発生したのです。

現地報道によると、私が通うインドネシア大学から5kmほど離れた民家で2名が感染した模様で、しかもこの2名は、日本人が同人宅を訪れた際に感染したものとみられています(日本人がマレーシアで陽性反応が出たため、同人の経路調査を行ったところ、インドネシアの訪問地での感染が発覚したという経緯のようです。)

日本大使館からの発表では、先月下旬には発熱が認められた日本人含む外国人の入国が空港で拒否されたこともあるため、今回の件でさらに入国管理が厳格化する可能性も否めません。

なお、3月2日現在の日本大使館情報では、2月28日付で新たに法務人権大臣令が発令されており、在中国のインドネシア公館において訪問査証および一次在留査証を申請する外国人には、中国の保健当局が発行する新型コロナウィルス非感染証明書(英文)の提出等の条件(条件は複数ございますので必ず大使館情報を直接ご確認ください)を満たせば、当該査証を付与するとしているとしています。ただし、インドネシア入国日以前の14日間に中国に滞在・訪問した外国人への査証免除措置および入国時一次在留査証の発給については、引き続き一時的に停止中です。

 

日本をはじめ、様々な箇所に深刻な影響を及ぼしつつありますが、一刻も早く事態が収束することを願ってやみません。

これからインドネシアにお越しになられる方、特に中国経由でいらっしゃる方は必ず大使館の入国管理情報を事前にご確認ください。

 

それではまた次回!

雨季のジャカルタ

Selamat malam!

日本ではコロナウィルス感染拡大がとうとう東京オリンピック中止に飛び火しそうな勢いですね。一刻も早い沈静化を祈るのみです。

私のところには友人から、「・・・是非拡散させてください。自己防衛が最重要です。今回のコロナウィルスは非常に熱に弱いことがわかりました。耐熱性に乏しく、26-27度の温度で殺傷します。なので、より多くのお湯を飲んでください。お湯を飲むことはすべてのウィルスのためにも効果的。冷たいものは厳禁です。・・・・」等というメッセージが転送されてきました。他の友人も来たと言っていたのでそれなりに拡散されている内容のようですが、人の体温が36度前後である以上、それが事実ならお湯を飲まずとも人を介した感染拡大は成立しないことになります。。。ただし、結論の「お湯を飲もう」については特に体に悪いことではないので特に文句はないのですが、どういうつもりで発信者はこの情報を流したのでしょうか。。。

 

 

他方、こちらジャカルタは、未だ感染者ゼロを続けているようですが、昨夜からの大雨の影響で、洪水の真っ只中にあります。年明けにもジャカルタでは大規模の洪水があり、何人もの方が亡くなってしまったので大変心配です。

私の住む街・デポックでは特に洪水まで被害が及んでいないようですが、ジャカルタは移動がなかなか難しい状態のようで、今日の講義も中止になってしまいました。

こちらが友人から送られてきた写真です。

バイクも半分水没してしまっている状況ですので、確かにこれは大変な状況ですね。

ただ、こちらの人たちはみんな慣れた様子です。あるインドネシア人学生に、「洪水で遊ばないか」と言われたので、「君たちみたいにウィルス耐性のある体じゃないから無理だよ」と断ったら、「何言ってるんだ、みんな洪水で遊んでウィルス耐性を身につけてきたんだ」と返されてしまいました。なるほど、道理でコロナウィルスの感染者が未だにゼロなわけですね。。。

とはいうものの、雨季のジャカルタでは、(特に蚊を媒介とする)様々な感染症の恐れがありますし、洪水により移動ができないことも想定されますので、皆様お越しの際は、服装・移動手段には十分お気をつけください。

それではまた次回!

現地学生向け就職セミナー

Selamat malam!

日本でもコロナウィルスが大変な騒ぎになっているようですが、インドネシアでも話題にはなっています。

未だ感染者がゼロとの情報ですが、その情報を素直に受け取っていいものか、疑心暗鬼になっている部分はあります。。。

ただ、空港以外でマスクつけている人が増えたという印象はないですし、もちろんマスクの売り切れ騒動なども起きてません。

ウィルスのせいで空港に行きづらくなり、旅好きとしては非常に困るので一刻も速く終息することを願うばかりです。

さて、今回は先週末にジャカルタ・クニンガンシティで行われた法学部生向けのジョブフェア(就活セミナー)にインドネシア大学の友人と参加してきたので、その様子をお伝えしたいと思います。

日本での就職活動といえば、私の頃はみんな大学3年秋にリクルートスーツを着て東京ビッグサイト等で開かれる就職セミナーに参加して、企業ブースの説明会に参加し続けると言った感じでした。

ちなみに弁護士の就職活動は少し違っていて(学部新卒と違い、職種が決まってますからやり方が違うのは当たり前ですが)、大手法律事務所の説明会に参加したり、それ以外は弁護士会が提供する採用情報等を利用して個別に面接に行ったりというのが普通ではないかと思います。

一方、ここインドネシアでは、学部新卒の学生でも弁護士の就職活動に近いです。大学生はすでに専門性を有していることが前提で、今回参加した法学部用の説明会には、法律事務所や、インハウス、官公庁等、法律に関連する機関しか参加していませんでした。

以前、インドネシア大学の経済学部に通う友人に、法学部卒業後に銀行に就職した話をしたら驚かれたものです。

「就職」ではなく「就社」の日本の方が、グローバルにみればやはり特殊なのでしょうね。

前置きが長くなりました。

まずは会場の入り口で登録手続きを済ませます。

中に入ると、日本では考えられないくらい派手な就職セミナーの内装が広がります。

ここは入ってすぐにあるディスカッション用のステージです。始まる前はクラブミュージックのようなものが大音量でかかっていましたし、始まってからもカラフルなライトが天井を照らし続けます。

ステージを通り過ぎると、法律事務所等の個別ブースが並んでいます。今回は大小合わせて30社未満だったと思います。

インドネシア人が派手好きなことがよくわかりました…各ブースが様々に趣向を凝らして飾り付けをしています。

中には日本の大手法律事務所と提携していることをアピールしている法律事務所もありました。

そして何より驚いたのがお土産。製造業系が自社製品を配ると言うなら分かりますし、そうでなくても自社ロゴが入った品物を配布するのもわかるのですが、ここではありとあらゆるものを配っていました。一番驚いたのはタピオカミルクティーですかね?

もう法律となんの関係もないじゃないですか…。

他でもジュースやお菓子を配ったり、軽食コーナーがあったりして、みんな飲食をしながらブースを回るカジュアルさでした。

友人が持ち帰った各ブースのお土産はこんな感じです。

他方、ブースで何をするかといえば、日本のように一定間隔で自社説明のプレゼンを行なうといった形式ではなく、学生はあらかじめ準備した履歴書(CV)を封筒に入れて、興味があるブースに置いていくと言うあっさりしたものでした。

もちろん、各ブースに人はいるので話を聞くこともできます。

ただ、日本のように大学3年生(今は4年生?就活方法が近頃コロコロ変わっているせいでもういつ就活しているのかよくわかりません…)だけが参加しているわけではなく、大学2~4年生と幅広い学年が参加しており、2年生は情報収集、3年生は長期(2-3ヶ月くらい)のインターンシップの申し込み、4年生は就職面接の申込みと、それぞれ別の目的を持って来ていました。

いかがでしたか?

海外で現地学生用の就職説明会に参加するなんて滅多にないので、日本とは趣向が違って私には大変貴重な経験でした。

日本の企業の皆様におかれましては、インドネシア現地で採用活動をする際はお土産の重要性をお忘れなきよう!

それではまた次回!

おまけ

就職セミナーの後、近くのカフェで友人と話していたのですが、ピザに調味料が付いて来ました。

皆さん、どっちの色に何が入ってると思いますか?

正解は…

 

 

 

 

 

黄色にトマトケチャップで、赤色にチリソースです。「え、黄色がトマト?マスタードは?!」と聞いても、マスタードが出てくる店なんてないよ〜と一蹴されてしまいました…。

皆さん、インドネシアでトマトケチャップを使いたいときはくれぐれもご注意ください。

(ちなみにインドネシアでは「ケチャップ」はソース全般を指すものなので、「ケチャップちょうだい」というと、普通は日本で言うソースに砂糖をたくさん入れたような味がする「ケチャップマニス」が出て来ます。)

タナトラジャ訪問〜その3 トラジャコーヒー

Selamat siang! (夕方前までのこんにちはという意味です。)

今回はタナトラジャ紀行の最終回、トラジャコーヒーの農園をご紹介したいと思います。

トラジャコーヒーでは元々コーヒー栽培が有名だったそうですが、第二次世界大戦によって荒廃してしまいました。それを復活させたのは日本の有名なコーヒー会社であるキーコーヒー株式会社さんですね。その歴史は同社のHPに詳しく記載されております(https://www.keycoffee.co.jp/toarcotoraja/history.html)のでご興味がある方は是非ご覧ください。

弊所の近くにキーコーヒーさんの本社があるのですが、その1階には前回ご紹介したトンコーナンと呼ばれるタナトラジャの伝統家屋が飾られてあります。

農園はタナトラジャ村の中心地から車で約1時間離れた箇所にあります。

農園が荒廃していたため、農園に至る道もキーコーヒーさんが作ったという話を聞いたことがあります。

これが農園途中の道なのですが、今でもなかなかに揺れる道で、ちょっとした遊園地のアトラクションよりはよっぽど迫力がありました。

途中にはカカオも栽培されていました。

ひとついただいたので、デポックの自宅に持ち帰っていただきました。食べてみましたが、白い粘膜のような部分には酸味があって香りも爽やかでした。

今回の訪問先はこちら。

こちらがオフィスです。

オフィス内には現在の商品が並んでいます。

横の棚には再興当時の資料が今も置かれていました。

まずはコーヒーでおもてなしいただいたのち、

農園を案内していただきました。

これがコーヒーの木です。

整然と並んでいる日本の果樹園のようなものを想像していたので、一見するとどれがコーヒーの木かもわからないくらい雑然とした景色に驚きました。

これがコーヒーの実ですね。

赤い部分は私が食べた際はりんごのような爽やかな味がしました。熟れると甘みが出てくるみたいですね。

割ってみると見覚えのある形が現れます。

収穫時期は6~8月ということもあって、工場の方は閑散としていました。

(ただ、そのために中も見せてもらえました。)

豆の選別は今でも目視でやっているようで、女性の方が手際良く欠品をはじいていました。

こうしてできたコーヒー豆が日本にも届きます。

さて、全3回でお送りしたタナトラジャ紀行ですがいかがでしたでしょうか。

タナトラジャにはこの他にもイカットと呼ばれる伝統織物や、

素敵な雲海が観れるスポットもあります。

皆さんも、インドネシアにいらっしゃった際は訪れてみてはいかがでしょうか。

それではまた次回!

追記

上の雲海の写真を見たところの茂みで初めて、インドネシアのカブトムシを確保しました!!(もちろん、すぐその場で解放しました。)

こっちのは上の角の先端は下向いてるんですね。

日本のカブトムシよりも足の力が強く、しがみつかれたときは滅茶苦茶痛かったです。。。

いつか、有名な3本角のアトラスオオカブトも探しにいきたいと思います。

タナトラジャ訪問〜その2 トラジャの家屋・墓

Selamat sore! (夕方付近に使う「こんにちは」です。)

今回は、前回に引き続き、スラウェシ島中央部に位置する、タナトラジャ地域の文化についてご紹介します。

今回もお墓(人骨あり)が登場しますので、苦手な方は絶対に以下を読まないでください。

まずは、ケテ・ケスという場所にある、タナトラジャの伝統家屋・トンコーナンについてお話ししていきます。

これがトンコーナンの家です。外観でよく使われる模様は、水牛と鳥で、水牛は神聖、鳥は権威と平和を象徴しています。

外観はカラフルなパターンによって彩られているのですが、色にも意味があり、黒は悲しみ、黄色は祝福、白は純粋、赤は血(勇敢)を表します。

この集落、リーダーの決め方がなんと闘鶏!

勝った人が村のトップということで、鶏を売る人は責任重大ですね。

部屋の中はというと、リビング&ダイニングの部屋が真ん中に位置し、左右の小上がりになった部屋があります。小上がりの部屋は、片方が夫婦及び子どもの部屋、もう片方は祖父母の部屋です。子供は17歳を過ぎると(結婚すると?)外に出ないといけません。

ちなみに、現在であれば普通の家屋なら70万円弱で建てられるそうです。

タナトラジャは家だけでなくお墓もユニークです。

代表的なお墓としては、岩に掘って埋めるパターン、崖の洞窟に納めるパターン、地面に埋めるパターン、そして、キリスト教徒のお墓があります。

時代とともに移り変わったようですが、洞窟に入れていた時代から、岩窟になり、そして、現代ではセメントのお墓(家風)に移行していきました。ここでは、一番目と二番目のお墓をご紹介します。

それでは、レモと呼ばれる岩窟墓から。

このレモ、岩に穴を掘ってご遺体を納める方式です。小さい穴はお一人で、大きめの穴は一族で使用します。人形(タウタウ)があるお墓が社会的ステータスが高い人のお墓です。

写真だと伝わりにくいかもしれませんが、一番上はかなりの高さに納められています。

目測ですが、高さ10m以上はあったはずです。なぜこんな高いところに納めるかというのは埋葬方法に関係しております。この地域では今でも火葬にせず、ご遺体はそのまま(というか病人扱い)お墓に納めるのですが、その際に生活に必要な?装飾品等も一緒に埋葬されます。

このため、位置が高い方が一緒に埋葬される装飾品が盗まれにくく、かつ、動物にもご遺体が破壊されないとのことでした。

悩ましいのが、あくまで病人ですので、2~3年に一回はお墓を開き、ご遺体を取り出して(降ろして)、服を変えて綺麗にしてあげなければいけないということです。しかも、その際にまた水牛(1頭約30万円)を捧げなければならないのです。どんだけお金かかるんでしょう。。。

一番古い岩窟墓は約700年前のものだそうですが、この写真に写っているので一番古いのは300年ほど前だということでした。

次はロンダという場所にある洞窟墓(エロン)です。

お墓が木の彫り物なのですが、モチーフは水牛、豚、そしてボートの3つがあり、それぞれご遺体が男性、女性、そして独身とで使い分けられるようです。動物の割り当てに対して女性から多いな苦情が出てきそうですが、これが伝統だとのことでした。

ここ、至る所に髑髏があるんですよね。歩いていてかなりギョッとする場所でした。

いかがでしたか?

次回は日本でも有名なトラジャコーヒーの農園をご紹介したいと思います。

それではまた!

タナトラジャ訪問〜その1 ranbu solo

Selamat tahun baru! (明けましておめでとうございます!)

新年最初の記事は、先月訪れたスラウェシ島のタナトラジャ地方の文化についてのご紹介です(全3回でお届けする予定です)。

但しこの地域、かなり特殊な死生観を有しており、写真もある程度は配慮してアップしておりますが、必然的に刺激の強い内容となっております。動物の亡骸やミイラが苦手な方、絶対に以下の記事は読まないでください。

スラウェシ島は、首都ジャカルタのあるジャワ島の東に位置し、ジャカルタに一番近い南の街マカッサルまで、ジャカルタから飛行機で約2時間強です。タナトラジャはスラウェシ島のほぼ中央にあります。(但し、州はマカッサルと同じ南スラウェシ州です。)

タナトラジャと言っていますが、日本では「トラジャコーヒー」の産地と言った方がわかりやすいかもしれません。

コーヒーの生産地ということからも分かるように(コーヒーは、基本的に赤道近辺の標高500m~2500mの高地で生産されます)、タナトラジャは山の中にあります。

マカッサルからは交通手段が車(バス)しかなく、夜行バスに揺られること8時間、ようやく目的地に到着します。それにしても、乗った夜行バスはスピード出し過ぎです。インドネシア人の子どもは吐いてましたよ。。。帰りなんか飛ばしすぎて、朝5時~6時到着予定が3時過ぎに町外れのバスターミナルで下ろされてしまって途方に暮れました。

タナトラジャはキリスト教徒の町なのですが、土着文化が色濃く残っています。

一番の特徴はなんといってもその死生観です。この地域の人々にとっては、厳密には「死」という概念が存在せず、いわば病気のようなものだというのです。

現地で知り合ったガイドの方にお願いして、一軒のお宅を訪問させていただきました。

中に入ると、一室に棺が安置されてあります。ただし、中にいらっしゃるのは15ヶ月前に亡くなられた方です。。。

この地方では、死者はまずミイラにして自宅で過ごします。そして、家族は、彼らを病人として扱うため、部屋に入るときは挨拶をし、食事も毎日準備します。

また、別の一室には、同じくミイラとともに、生前の姿を模した人形もありました。

 

この人形は全員が作るわけではなく、生前の社会的地位が高かった人のみに作られるそうです。

ミイラと生活することで衛生面が気になるところですが、昔はハーブで消毒して、パイナップルの葉で巻いていたそうですが、今では病院でミイラにするための処理を全て行なっているとのことで、訪問した際も全く匂いはなかったです。

ミイラにする理由は主に2つだそうで、1つは単純に「死」を受け入れられないから。

もう1つは一気に現実的で、すぐに葬式費用が出せないから。ただし、のちに述べますがこの葬式費用というのが笑えない金額なのです。

私が訪問した際にも、運良く(通常は7~10月に多く行われるようです。)ある集落で葬儀(rambu solo)が行われていましたので、その一部に立ち会わせていただきました。

一部と言ったのは、葬式自体は4日間にわたって開催されるからです。

初日は、ご遺体を御輿(小さい家みたいな形)のように担いで村を回り、式場に移動します。

二日目は村中の人(2000人~3000人は来るらしいです。)が集まって、歌と水牛を死者にお供えします。

三日目は、葬儀を手伝ってくれた人々にお返しをする日。

最終日の四日目にようやく棺をお墓に納めます。

この地域では、水牛が死者を天国(puya)に連れて行くと考えられています。ちなみに地獄はないそうで、どんな悪いことをした人も天国に行くそうです。

このため、葬儀では水牛を捧げます。その数およそ20~24頭。そしてこの水牛、普通のものでも一頭約25万円します。

これが普通の水牛ですね。

そして、この地域ではツートンカラーのマダラ模様が貴重とされており、その額は時になんと一頭1000万円近くになるそうです。

マダラ模様の水牛、初めてみました。家より高い水牛なんて・・・ガイドさんは冗談で「ランボルギーニ」と呼んでいました。

以上の通り、葬儀には、水牛を揃えるだけでも最低500万円はかかるのです。(他にも豚も供物として捧げたり、死者用の御輿を作ったりと色々かかります。)

日本人ですら厳しい金額ですが、平均月収が約3万円といわれるインドネシア人にとっては比べ物にならないくらいの負担です。道理でミイラにしてまで時間稼ぎをするわけですね。。。

ちなみに、この葬儀費用は日本で言う喪主だけでなく、親族全員で負担します。

この日は運良く?、4日間の中で最も衝撃的な、水牛を捧げるシーンでした。

まずは親族の各代表が集まり、水牛の配分を決めます。先程20~24頭を捧げると書きましたが、その全てを使者とともに葬るわけではなく、だいたい半数は教会や病院、別の村に寄贈し、売ったお金で活動資金に使ってもらうそうです。

この竹棒が水牛の数を表しており、親族間でどこに何頭の水牛を配分するかを話し合います。

この日は24頭中、12頭が死者に捧げられ、残りは寄贈されることになりました。

 

これが捧げられる水牛たちです。

この後、水牛の首を掻き切り、捧げます。

写真・動画はあるのですが、自主規制の対象です。ご興味がある方は私を見つけた際に仰っていただければお見せいたします。

手慣れたもので、大抵は上手に喉を切るため断末魔を聞くことはないのですが、中には下手な人もいて・・・。

供物とされた水牛は、革は剥いで売り捌き、肉はみんなで食します。ただし、食す量はその人の地位によって分配されます。

全体的な印象としては、実際に亡くなられてから相当期間が経過しているせいか、しめやかな葬儀からは程遠く、お祭りといってもいいような雰囲気でした。なお、逆に結婚式は質素だそうで。

一番印象的だったのは「我々は葬式のために生きている」と言っていたことでした。死者のために生きるなんて大いなる矛盾のようにも感じますが、彼らにとってそれは誇りであるようです。

いかがでしたか?

基本的にインドネシアでも現代ではご遺体をそのまま自宅やその付近で安置することは禁止されているようですが、この地域のみ特例で許されて現代でもこの風習を継続しています。

次回は、タナトラジャの伝統家屋とお墓についてご紹介したいと思います。

それではまた!

 

 

半年を振り返って

Selamat siang! (インドネシア語でこんにちはという意味です。)

クリスマスも終わり、いよいよ年末年始ですね。

インドネシアではクリスマスに多少の盛り上がりをみせるものの、日本のような年末年始休暇はありません。そのかわり、イスラム教の宗教行事であるラマダン(12ヶ月のうち1ヶ月間行う断食)後にレバラン休暇が1週間近くあります。ヒジュラ暦(イスラム暦)で計算されるので毎年違うのが厄介なポイントです。2020年のラマダン・レバランは4月~5月ですので、その際にこちらの様子をお届けしたいと思います。

さて、今回は2019年最後の更新ということで、来インドネシア半年(正確には4ヶ月半なのですが)を振り返りたいと思います。

1 大学生活

私が参加しているのは主に交換留学生を対象としたプログラムなのですが、私が留学しているインドネシア大学にはインドネシア人学生を対象とした英語での授業が元々あり、それに参加する形式でした。法学部に参加する奇特な外国人は私しかおらず苦労する場面も多かったですが、周りの学生に助けてもらいながらなんとか過ごすことができました。(とは言っても、英語の授業リストのはずがインドネシア語の講義が混ざっていたり、英語と称したほとんどインドネシア語の講義があったりで、やむなく受講停止した科目もありました。。。)

久しぶりの大学(学部)生活は新鮮でしたが、日本とはなにもかもが違いました。

こちらでの生活自体には比較的早い段階で適応したのですが、大学生活に適応するのに費やした半年だったといっても過言ではありません。

第一に、課題・グループワークの量が明らかに異なります。日本の学部に通っていたのが10年以上前なので、これが時代の変化によるものなのか国の違いによるものなのかが定かではないのですが、どの授業もほぼ毎週といっていいほど、レポート課題やプレゼンテーションの課題が出されますので、私のプログラムはそれほど授業単位数が多くないのですが、それでも慣れない作業に四苦八苦する日々でした。

グループワークも多いのですが、昔と違いわざわざあって話し合うのではなく、ドキュメント共有アプリ上で文章やプレゼンテーション資料を作成していくあたりは、どちらかというと時代の問題ですかね。。。

第二に、教授の厳しさと適当さの違いですね。課題提出に関してはやたら厳しいのですが、講義スケジュールはというと、正直に言えば(日本的な観点から言えば)お粗末としか言いようのない状況でした。第一週の講義に緊張しながらクラスに赴いたものの、1クラスを除き参加したすべてのクラスの教授が初日の講義の日時を間違え、休講になったことは特に大きな衝撃でした。。。

突然の休講も頻繁にある(幸にして私は事務課の人と仲良くなったので、前夜に個別に連絡をもらえるようになりましたが)一方で、こちらの大学は休講した分は必ず補講を行うという制度であるため、ただでさえ1コマ2.5時間ある授業を連続して2コマ行うという暴挙もしばしばでした。

日本人にとって、このスケジュールの読めなさはかなり致命的ですが、おそらくビジネス界も似たり寄ったりなのだろうと今から諦めのような覚悟をしております。

それにしても、試験日が1週間前まで分からなかったり、事前に言ってた試験範囲・形式と全く異なる出題をしたり、法律家として「予見可能性」や「公平性」という単語を知らないのか!と言いたくなることも多々ありました。

2 法律

この半年は主に株式会社法を中心に勉強をしておりました。株式会社法のご紹介は来年も引き続き当ブログでご紹介して参ります。

日本企業がインドネシアに進出するには、ほぼ株式会社の形態一択ですので問題ないのですが、こちらでは日本とは異なり、パートナーシップ形態による事業活動も盛んなようです。日本では最低資本金制度が撤廃されたこともあり、わざわざ経営陣(法律的には「社員」といいますが、日常用語の従業員としての意味ではありません。)が無限責任を負う合名会社・合資会社を新規設立することは少なくなったように思いますが、こちらでは未だ最低資本金制度を採用している(インドネシア企業にとっては2019年12月時点のレートで日本円にして10万円程度なのですが。外資企業の資本金規制は全く別のでご注意ください。)ことも一つの要素と考えられます。厄介なのは、日本の合名会社・合資会社と違い、パートナーシップ形態には登記制度もなく法人格が存在しない点です。取引の際はこのような点にも気をつけなければなりません。

また、興味深いですが複雑怪奇なのが「アダット法」です。一種の慣習法なのですが、地域ごとというよりは部族ごとに有しています。アダット法については年明けにもう少し詳しくご紹介する予定です。

受講可能な講義リスト(授業名が書かれた1枚のリストだけを頼りに受講科目を15分で決めさせられました。。。)の中に「conflict of laws」(法の矛盾)という講義名を見て、私はてっきり法律、条例、大統領令、省令の相互矛盾の講義かと思い受講したのですが、実際はは法律、宗教法(主にイスラム法)、そしてこのアダット法の相互矛盾についての講義でした。

期待していた内容とは全く異なるものでしたが、なるほど確かに非常に難しい問題で、興味深い内容でした。そもそも慣習法の性質上不文法であるため、その内容把握が困難であるうえに、法律等との優先関係も不明であることにより複雑さに拍車をかかります。

また法律の内容というよりも、法令調査の難しさにも直面しました。

ごく基本的な法律に関しては英訳が存在するのですが、その英訳も法律事務所等が訳したものですので、正訳ではありません。民法に至っては原文が殖民地時代のオランダ語のままですので、インドネシア人のほとんどが原文の民法を読んだことがない(インドネシア語訳のインドネシア民法で勉強しています)という事態に陥ったままです。このため、少なくともこの半年間の講義では、日本のように条文の「文言」を解釈するような話は聞かないままでした。

日本のような判例データベースが存在しないため、法律解釈論の蓄積がなく、これが裁判での結果の予測可能性を著しく損なわせているように感じます。このあたりとどう折り合いを付けていくかが(現地の法律家がどうしているのかを知るのが)来年以降の私の課題です。

3 語学

インドネシア、特にジャカルタ近郊の学校では英語教育が盛んで、私が所属しているインドネシア大学法学部(の特に英語で講義を受けるコース)の学生はみな英語が堪能で圧倒されました。この前旅行中に出会った14歳の女の子ですら、日常会話にはなんら不自由がないほど英語を使いこなしており驚くばかりです。

このため、大学生活ではほとんど英語で生活していたことから、期待していたほどインドネシア語が習得できなかったのが反省点です。来年はもう少し生活を工夫して、インドネシア語を使用する機会を増やさねば。。。

とはいうものの、旅先で必要なことを片言で伝えられるくらいにはなったので、12月にはスラウェシ島と、そしてコモド島のあるフローレス地方に行ってまいりました。これらに関しては年明けにまたこちらでご紹介したいと思います。

インドネシア語は、世界一簡単な言語と言われ、たしかに文法の複雑さはそれほどないのですが、いくつかの落とし穴があります。

第一に、現地語の存在です。インドネシアには300もの部族があり、部族ごとに独自の言語をそれぞれ使用しています。その数は一説には700言語とも言われており、公式文書は別としても、日常会話では現地語も混ざって会話がなされることも多々あるため、特に聞き取りには困難を極めます。抑揚なく、呼吸をおかずに話し続けますしね。

第二に、略語の存在です。長々と話す割にめんどくさがりのところがあり、会話では略語がとても多く使われます。インドネシア人のグループチャットをみていても、略語が多すぎて全然わかりません笑

第三が発音方法です。特にLとR、FとVが聞き取れません(少なくとも私には)。LとRは日本人と異なり、両方とも巻き舌のように発音し、FとVに至ってはオランダ語のせいか同じ発音なのです。また、Eは、「エ」と発音する場合と、「ウー」(但し口の形は「イ」の形)と読む場合があったり、日本語では「ン」でもインドネシア人は「N」と「NG」で発音を区別しますので注意が必要です。

これらの発音は頻繁に英語でも発動するので注意が必要です。ある日の株式会社法の授業中、株主総会の説明で教授がずっと「フォーティーンライト」と言い続けるので、私はずっと「fourteen rights」(14の権利)があると思っていたのですが、しばらくして「voting right」(議決権)だったことに気がつきました。。VをFと同じように読み、NGを「ン」と発音してしまうとこうなるんですね。。。

第四に文法が簡単ゆえの表現のゆれの多さです。正直に申し上げて、まだその細かいニュアンスを表現する段階には至っていないのですが、文法がないせいで、逆に一つの文章が複数の意味に捉えられることも多いように感じます。よりちゃんと説明しようと思うと、おそらく話がめちゃくちゃ長くなるんですね。

4 文化・生活

この半年間、一番注力してきたのは、インドネシアの文化・生活を体験することでした。インドネシアとひとことで言っても、多民族国家のインドネシアでは全く異なる文化が共存しているため、体験するためには必然的にあちこちに行かざるをえません。

各地域の文化については、これまでも個別にご紹介して参りましたし、これからも別途記事でご紹介する予定ですのでここでの詳述は割愛しますが、インドネシア文化を理解するうえで欠かせないキーワードは「宗教」と「土着文化」の融合だと感じました。

国全体でいえば、人口の約90%がイスラム教徒なのですが、島によってはキリスト教やヒンドゥー教が大半を占める地域も多く存在します。

この国の国是として「多様性の中の統一」という素晴らしい言葉があります。しかし、現在では多数派を占めるイスラム教徒によりこれが侵されようとしている側面があり、今後の注視が必要ですが。

いずれにしても、多様性を基礎として成り立つこの国では各地域の文化・ルールを知ることがインドネシアの方々と仲良くなる一番の近道のような気がしています。

日本では国土全体を表現して「北は北海道から南は沖縄まで」と言うことがありますが、こちらでは「サバンからメラウケまで」といいます。サバンは西の果てのサバン島(津波で有名になってしまった厳格なイスラム教で治められるアチェ州にあります。)、メラウケはインドネシア領パプアの東の町です。東端から西端まではアメリカ大陸より長いので大変ですが、なるべく来年で全国各地を回って各地の生の文化をお届けしたいと思います。

長々と書きましたが、来年も色々書いていきますので、これからもご愛読いただければ幸いです。

それでは皆さま、良いお年を。

ジョグジャカルタ訪問〜その3 最終編

こんにちは!

いよいよ年末が近づいて参りましたね。

インドネシアは年末年始に対する思入れがそれほどないみたいです。キリスト教だとクリスマス休暇からそのまま年末年始への長い休みに突入するイメージがありますが、こちらでは大晦日年明けカウントダウンも一応あるものの、噂によると街中でみんなが好き勝手に花火を打ち上げてそれを眺めるといった代物らしいです。今年は観れないのですが、いつか機会があればその光景もみてみたいですね。

さて、今回はジョグジャカルタ旅の最終編をお送りしたいと思います。

前回、前々回とジョグジャカルタ近郊にある世界遺産をご紹介致しましたが、この街には他にも様々に魅力的な要素が含まれています。

その1つが、バティック。バティックとはインドネシアの伝統衣装を言いますが、ジョグジャカルタはその名産地です。

ジョグジャカルタにはマリオボロ通りという、バティックやその他服が安く大量に売っている有名な場所がありますが、あえてそこを避けて、骨董通り?に行き、その中でも工房を自前で持ってそうな大きめのバティック店を一人でふらっと訪れ、「作ってるとこ見せてくれない?」とお願いしてみると、快く承諾してくれました。

バティックは、ロウで絵付けをして、それ以外の部分を染める染め物です。(ロウの部分は染められません。)

まずは下絵から。

この下絵に沿って、この道具を使いながら小さいボウルに入ったロウで模様を描いていきます。

これがその道具。

これを使って器用に描いていきます。

隙間を塗っていく人も。

 

手書きのほか、スタンプを使うパターンもあります。模様は地域によって異なり、それぞれに意味があります。

描き終わると、今度は染色の過程に入ります。

何度も染色した後、干して乾かせば出来上がりです。

(もちろん出来たのは布なので、この後縫製に入るのでしょうが。)

市販のプリントバティックは1着500円くらいで買えるのですが、このようにハンドメイドは大変な手間がかかるので、販売時は5000円~15000円くらいの値が付けられます。値段は使用した色の数や描く模様の複雑さで変わるようです。

写真でお分かりのとおり、パートごとで分業されています。マニュファクチュアという懐かしい単語が頭の中で響きますね。

なお、このバティックという衣装、インドネシアでは正装なので、バティックを着ていれば大統領にも会うことができます。

 

 

話は変わりますが、ジョグジャカルタではいろんな乗り物があります。

これは観光用の馬車(ジャカルタでもごく一部でみかけますがほとんどないです。)

ベチャという、乗客が前、運転手が後ろで一生懸命自転車を漕ぐ乗り物もあります。

ちなみに、近代化したベチャは後がモーターバイクになっています。

 

また、訪れた日程がムハンマド生誕祭のお祭りウィークでしたので、ジョグジャカルタでもお祭りをやっていました。

ジョグジャカルタは特別州として、今でも独自にスルタン(地域の王様)が在位しており、軍隊もあります。

お祭りのパレードでは、クラトン(王宮)に所属する20以上の軍部隊がそれぞれの衣装を着て行進していました。

お祭りの前にやたら人が歩いてるなと思って話を聞いてみたら、お祭りの一環としてなのか、年に1回のウォーキング大会も併せて?行われていました。

なんでも、運動不足解消のために始められたそうで、多くの地元の方々が参加されていましたが、楽しいですかと聞いたら、着いた後お祭り会場で食べ物がたくさん準備されているそうで。。。

健康ってなんでしょうね。せめて月1回やればと思いますが。。。

夜は、クラトン(王宮)前で、ワヤン・クリッという伝統的な影絵?の生誕祭特別公演をみることができました。

(すみません、ここでのワヤンクリッの公演写真は撮り忘れてしまったので、下の写真は、庶民向けに夜通し行われる月例公演(クラトンの別の広場)でみた際の写真です。)

 

 

特別公演ということで、ジョグジャカルタのロイヤルファミリーもご出席されておられました。

 

この方はプリンセスだそうです。隣のおじさん達に聞いただけなので確証はないのですが。

ジープでムラピ山という中部ジャワきっての山に登りました。

この山、大きな噴火を繰り返しており、現在も山の中腹から上は立入禁止となっています。

形はとても美しい山です。

麓には噴火の被害を残した資料館があります。

ゲートを骨で飾るあたり、さすがです。

 

熱で溶けたテレビは噴火の恐怖を物語っています。

しかし、そんなシリアスな資料が並ぶ中でも噴火した煙で遊ぶ資料館。

インドネシアのこういうところは大好きです。

 

 

以上がジョグジャカルタで訪れた主な場所でした。

この他にも、荒れ狂う海に浮かぶ島に吊橋(渡るだけで1000円近く取られましたが、お兄ちゃんがつきっきりでおもしろ写真を撮ってくれました。SNS好きにはたまらないサービスかもしれません。)で渡ったり、

変な食べ物を食べたり、(インドネシア人は鳥を頭から足まできれいに食べます)

インドネシア人の意外な几帳面さをみたり、

色々な発見がありました。

ただ一番の発見は、中部ジャワ人の人の良さです。

みんなとても親切で礼儀正しく、誠実でした。(一部のベチャの運転手とマリオボロ市場の人は除きます。)

今後もインドネシア各地の情報をお届けしたいと思います。

ではまた次回!

ジョグジャカルタ訪問〜その2 プランバナン寺院群

こんにちは。

私は現在、期末試験という、もはや懐かしい響きのする代物と格闘しております。

なにが大変って、全部英語で試験を受けなければならないので、私にはどの科目も英語の試験でしかない点なのですが、それにまして大変なのが、「コロコロ」変わるというところです。

この国で一番適用するのが難しい文化は、私にとってはこの辺りです。。。始まる前から試験日が二転三転するのは当たり前、当日になっても期末試験の講義の最終日に使っていいと言われた資料が前日になって見てはいけないと言われたり、聞いてた試験日範囲と全然違うところから出題されたり…よく言えば「臨機応変」なのですが、私の頭に浮かぶのは「朝令暮改」の方です。

ビジネスを行ううえでも、最後の最後まで気が抜けないことだけはこの半年でよくわかりました。

さて、今回はジョグジャカルタ旅行・プランバナン寺院群編です。

プランバナン寺院群もインドネシアの世界遺産の1つです。

この留学中に、できればインドネシアある全ての世界遺産を訪問したいと目論んでおります。

プランバナン寺院群はその名の通り、複数の寺院から構成されておりますが、メインはロロ・ジョングラン寺院ですね。前回ご紹介したボロブドゥール遺跡は仏教でしたが、ロロ・ジョングラン寺院はヒンドゥー教です。ただし、プランバナン寺院群には仏教遺跡も含まれており、しかも建築された時代もボロブドゥールと同時期の9世紀頃とみられていますので、この辺りに多様な文化・宗教の共存の歴史をみることができます。

ロロ・ジョングラン(訳すと「細身の処女」だそうです。どういう意味でしょうか、訳しても真意が分からないのは私だけでしょうか。)寺院にはヒンドゥー教の三大神であるブラフマー神、ビシュヌ神、シヴァ神、そしてシヴァ神の妻であるドゥルガー神やシヴァ神の息子のガネーシャがそれぞれ祀られています。でも、見た目的に一番インパクトあるのはやはりガネーシャではないでしょうか。

障害を取り除き、福を招くという神様です。(この神様だけいればいいような気がしてくるのも私だけでしょうか。。。)

 

このロロ・ジョングラン遺跡では、ジャワ島には珍しい(バリ島ではヒンドゥー教が盛んなのと比べて)ヒンドゥー教徒の方々がお祈りする光景に立ち会うことができました。

そして、じっと見ていたら、「お前もやってみるか?」と言われ、そのままエセヒンドゥー教徒となり、お祈りを体験することができました。私が習ったお祈りの仕方はざっくり次の通りです。ちゃんと理解できていたか怪しいので、間違っていたらごめんなさい。

①座禅した状態で合掌した手を頭上にかかげてお祈り。初回だけお祈り用の花を持ちません。

②両手を下ろし、坐禅中の各膝の上にのせて黙想、

③赤または黄色のお祈り用の花を合掌ている両方の中指あたりでつまみ、再び頭上に掲げてお祈り。

④ ②と③を合計4回繰り返す(花なしバージョンも含めて5回)

⑤起立し、神様の足元に両掌と額を押し当て、自分の名前を心の中で呟く。

⑥神様の足元に置いていた水から少しだけ手に取り出し、すする。

⑥神様の周りをお祈りしながらグルグル回る。

これがめちゃくちゃ時間かかりました。なにが長いって、上記①~④を、安置されている全部の神様に行います。

我々がお祈りを捧げている間は、とても他の観光客が安置されている御堂の中に入れる雰囲気ではなく、後ろからずっとカメラで撮られたり見つめられてりしていました。

とても大変でしたが、日本では触れる機会の少ないヒンドゥー教を体験することができ、貴重な時間となりました。

(筆者は左端。他にも2名が参加しました。真ん中のインドネシア人女性はれっきとしたヒンドゥー教徒です。突如のお祈りのせいで、2時間近く非ヒンドゥー教徒の友人を外で待たせっぱなしにすることになりました。)

 

私は時間の関係で(主に2時間近くお祈りに付き合ってたせいで)ロロ・ジョングラン遺跡しか回りませんでしたが、お立ち寄りの際は他の寺院と比べてみるのも面白いかもしれませんね。

次回はジョグジャカルタ旅行の最終編をお送りしたいと思います。

ではまた次回!