フローレス訪問〜その2 フローレス島

Selamat pagi!

 

皆さま、おはようございます。

 

今回は前回に引き続き、ヌサトゥンガラ諸島のフローレス島について書いていきたいと思います。

 

前回の記事に記載しましたとおり、このあたりの名物といえばなんといってもコモドドラゴンですが、フローレス島には他にも面白い自然や文化がたくさんありますのでご紹介したいと思います。

こちらは、フローレス島の中央よりやや東側にクリムトゥ山というところです。この山の山頂部に火口湖が3つあり、しかもそれが時間によって色が赤やエメラルドグリーンに変化するというなんとも神秘的な場所です。

私が訪れた際は雨季の初めで、残念ながら雲も多く、色の変化は見ることができませんでしたが、オススメの場所です。

ただし、行くのはなかなかに大変で、西の拠点ラブアンバジョから乗合バスで丸一日、またはエンデという島中央部の街に飛行機で向かったのち乗合バス等で2時間ほどかけて山の麓にある村に向かい、そこで一泊して早朝に軽い山登りをして朝日を目指します。登山自体は多少舗装された道をせいぜい1時間くらい登れば着くのですが、暗闇の中、道案内もない中で進むので、なかなかの恐怖感でした。

 

次に訪れたのがバジャワ町で、イネリエ山(現地語で偉大なる母という意味だったと思います。)の麓にあります。

こちらがそのイネリエ山です。山の形が非常に綺麗な独立峰でした。一日かければ登山することもできたようですが、時間がないので諦めました。この辺りはインドネシアといっても気温が非常に寒く、夜は10度台まで冷え込むこともしばしばですのでご注意を。

このイネリエ山を背景にして古くからあるベナ村は、このフローレス島でも古い村のようで、今でも昔ながらの伝統を守って生活しています。

バジャワ町も含め、フローレス島はインドネシアでは珍しくカトリック教徒が多い地方で、ベナ村もカトリック教が中心です。ただし、日本の神仏混合のように、現地のアミニズムと融合しているようなところもあり、非常に興味深い場所でした。

村の集落は密集していますが、それほど大きくはありません。

屋根の上には各家庭にsakapuuと呼ばれる人形が置いてあり、人形の持ち物が各家庭によって違うそうです。

集落の真ん中には広場と、昔のお墓があります。

広場にはこのように小さい屋根の形をしたものが左右に並ぶ場所があります。それぞれ、男女を表したものらしいのですが、使い方はよくわかりませんでした。お祭りの時にでも使うのですかね?

他にもおそらく祭壇と思われるオブジェもありました。

この村最大の特徴は、世界でも珍しい母系主義にあると思います。詳しいシステムは分かりませんでしたが、今でも女性が家長として各家庭を切り盛りしているようです。

調理器具も昔風です。この日は軒先で豚を煮ていました(カトリックなので食べられます。)。混ぜる道具も竹の一種を割っただけでしたが、匂いは美味しそうでした。もう人るは、竹を使った蒸し焼きも置いてありました。こっちは鶏肉だそうです。日本の伝統手法に似てますね。

ベナ村の近くには地元の人もよく来るという温泉があるというので、立ち寄ってみました。

これが温泉です笑

全然思っていたものとは違いましたが、川に右の支流から熱湯が流れ込んできて、それが本流の冷たい水と混ざりますので、自分でちょうどいい温度の場所を探し当てて入ります。

地元の子たちに、手で作る水鉄砲を教えて仲良くなりました。

驚くことに、この子たち、10歳未満だと思うのですが、簡単な英語が話せます。コモドツアーに乗っていた14歳の子も英語が日常会話の英語は問題なく参加していましたし、インドネシアの若い人たちの語学力にはいつも驚かされます。

ベナ村の近くで、下だけが焼け焦げている林を発見しました。イネリエ山では最近山火事が発生したと言っていましたのでそれかと思ったのですが、これは焼畑農業だそうです。バイクでバジャワ町をあちこち紹介してくれたお兄さん曰く、焼畑農業は、燃やして肥料にするというよりは、茂みに潜むヘビ等を追い払うためにやっているということでした。

さて、フローレス地方はいかがでしたでしょうか。

ここにも書ききれないことがたくさんあって、魅力満点の場所でした。交通手段があまりないので、旅慣れていないと難しい場所ではありますが、ぜひ機会があれば訪れてみてください。

それでは、また次回!

おまけ

今回記載したクリムトゥ山やバジャワは一人で訪れたのですが、コモド島やその他の地域は、ジャカルタでお世話になっている家族と一緒に旅行しました。

このご家族、以前にもご紹介したことがあるのですが、お父さんがこのフローレス島の村出身で、親戚との食事会にも参加させてもらいました。

親戚の集まりと言っても人数が20人以上ですので、弁当スタイルではなく、料理鍋や炊飯鍋ごと持ち込んで食べるビュッフェスタイルです。

みなさん、いつも親切にしてくださいます。

ワリディアー!

(現地の民族の言葉で「ありがとう」の意味です。インドネシア語ではありませんので、フローレス島でも他の民族には全く通じません。)

フローレス訪問〜その1 コモド国立公園

Selamat sore!

最近はコロナのニュースばかりで気が滅入ってしまっていますね。

そういえば、留学していて初めて知ったのですが、うがいって日本の文化で他国ではしないんですね。うがいしていたらドイツ人にびっくりされて逆にびっくりしました。

 

今回は、だいぶ前の話題で恐縮ですが、去年のクリスマスに訪れたヌサトゥンガラ諸島のコモド国立公園とフローレス島を、2回にわたってご紹介したいと思います。

 

日本の方にはヌサトゥンガラ諸島と言ってもピンと来ないかと思います。しかし、コモドドラゴンがいるあたりといえば、某バラエティ番組がきっかけでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

ヌサトゥンガラとは「南東の島々」という意味だそうで、ジャカルタがあるジャワ島からはかなり東にあります。ジャカルタからみるとバリ島よりもさらに東に位置します。ジャカルタから直行便のあるフローレス島のラブアンバジョ空港でも約2時間半の場所ですね。ジャカルタ直行便は本数が少ないので、日本から訪れる場合はバリ島を経由するのが一般的かもしれません。

 

今回は世界遺産・コモド国立公園についてご紹介します。

コモド国立公園には、フローレス島のラブアンバジョという町から、船で行くのが一般的かと思います。私もラブアンバジョから船の一泊二日のツアーに参加しました。

朝出発のツアーですが、飛行機で早朝に到着する便はなかったので、前泊しがてら、ラブアンバジョの魚市場にも立ち寄ってきました。

鮮魚もおいてありましたが、どちらかというと干物が多い印象でした。写真は撮り忘れましたが、ホタルイカサイズのイカの一夜干しを買いました。値段も忘れてしまいましたが、一キロ1000円もしない金額だったように思います。このフローレス島はカトリックの町なので、お酒もある程度飲めましたので、ホタルイカ?は道中のおつまみとして美味しくいただきました。

市場から町の中心に歩く海沿いの道には、先ほど売られていた干物を干している姿が散見されます。

周りにゴミとハエがたくさん集まっているのを見ると、買う気が無くなってしまうのでやめた方がいいと思うのですが。。。

 

先ほどの市場とは別に、夕方になると鮮魚屋台が通りに集まって、賑わっています。お客さんは並んである魚を選び、調理法を指示すればその場で食べることができます。値段は交渉次第ですが、丸々一尾を買わなければいけないので、そんなに安くはないです。小さいもので700円、大きいものだと2000円近かったと思います。

色とりどりの魚が並んでいて、南国の雰囲気満載でした。

私は東京では食べられなさそうなこの魚を選んでみました。

調理後の写真がこちらです。

私は単純に焼いてもらいました。Ikan bakar(焼き魚)と言います。

 

さて、いよいよ出航です。

ラブアンバジョの町は小さく、全部歩いて回れるくらいのサイズ感ですので、港もすぐ近くでした(ただし、入り口が変なところにあるせいで、大回りしなければなりませんでしたが。)

手前のボートに乗り、写真の奥に止まっている船に乗り移ります。浅瀬のためそんなに大きくない船でも桟橋につけられないんでしょうね。これはインドネシアの他の地域でもよくあります。お年を召した方にはかなり大変です。

乗るのも小さめの船ですが、船中泊ができるようになっており、夜は他のツアー参加者とデッキで団欒できます。

コモド国立公園で一番有名なのはコモド島だと思いますが、コモド国立公園は他にもリンチャ島、パダール島が含まれています。私が訪れた際は、コモド島は潮流の関係で行けないと言われてしまい、リンチャ島に上陸しました。

ちなみにこの国立公園、外国人の入場料が一日4000円近くします。滞在ビザ(KITAS)持っていれば現地価格になるはずなんですが、現地のオペレーションでは、大学から訪問許可の書面を持っていないと値段は下げないの一点張りでした。

また、1グループに2人のガイド兼監視役?の人が木でできた刺股を持ってきてついてきます。ただ、時速約20kmで走るとも言われているコモドドラゴンに本気出された場合、刺股で勝てるのかは甚だ疑問です。

ここでの目玉はなんといっても世界最大の爬虫類・コモドドラゴンです。

流石の大きさと迫力でしたが、訪れたのが昼間ということもあり、暑くて管理棟の下でだらけていたため、全然野生のコモドドラゴンという感じはしませんでした。あと、近づくとガイドの人から怒られますのでご注意ください(怒ってる声にコモドドラゴンが反応して襲ってこないかの方が心配でしたが。)

こちらはコモドドラゴンの巣です。

コモドドラゴンは、1個体が30個ほどの卵を産むそうですが、成体まで生き残ることができるのは20%程度だそうです。残りの80%は他のオオトカゲに食べられたり、成体のコモドドラゴンが赤ちゃんを食べてしまうそうです。。。

このコモド国立公園ツアーでは、コモドドラゴンのいる場所にも、他の島やビーチを訪れることができます。海がとても綺麗な地方で、併せて楽しめますのでオススメです。

次回は、フローレス島の自然・文化についてご紹介したいと思います。

それではまた次回!

タナトラジャ訪問〜その3 トラジャコーヒー

Selamat siang! (夕方前までのこんにちはという意味です。)

今回はタナトラジャ紀行の最終回、トラジャコーヒーの農園をご紹介したいと思います。

トラジャコーヒーでは元々コーヒー栽培が有名だったそうですが、第二次世界大戦によって荒廃してしまいました。それを復活させたのは日本の有名なコーヒー会社であるキーコーヒー株式会社さんですね。その歴史は同社のHPに詳しく記載されております(https://www.keycoffee.co.jp/toarcotoraja/history.html)のでご興味がある方は是非ご覧ください。

弊所の近くにキーコーヒーさんの本社があるのですが、その1階には前回ご紹介したトンコーナンと呼ばれるタナトラジャの伝統家屋が飾られてあります。

農園はタナトラジャ村の中心地から車で約1時間離れた箇所にあります。

農園が荒廃していたため、農園に至る道もキーコーヒーさんが作ったという話を聞いたことがあります。

これが農園途中の道なのですが、今でもなかなかに揺れる道で、ちょっとした遊園地のアトラクションよりはよっぽど迫力がありました。

途中にはカカオも栽培されていました。

ひとついただいたので、デポックの自宅に持ち帰っていただきました。食べてみましたが、白い粘膜のような部分には酸味があって香りも爽やかでした。

今回の訪問先はこちら。

こちらがオフィスです。

オフィス内には現在の商品が並んでいます。

横の棚には再興当時の資料が今も置かれていました。

まずはコーヒーでおもてなしいただいたのち、

農園を案内していただきました。

これがコーヒーの木です。

整然と並んでいる日本の果樹園のようなものを想像していたので、一見するとどれがコーヒーの木かもわからないくらい雑然とした景色に驚きました。

これがコーヒーの実ですね。

赤い部分は私が食べた際はりんごのような爽やかな味がしました。熟れると甘みが出てくるみたいですね。

割ってみると見覚えのある形が現れます。

収穫時期は6~8月ということもあって、工場の方は閑散としていました。

(ただ、そのために中も見せてもらえました。)

豆の選別は今でも目視でやっているようで、女性の方が手際良く欠品をはじいていました。

こうしてできたコーヒー豆が日本にも届きます。

さて、全3回でお送りしたタナトラジャ紀行ですがいかがでしたでしょうか。

タナトラジャにはこの他にもイカットと呼ばれる伝統織物や、

素敵な雲海が観れるスポットもあります。

皆さんも、インドネシアにいらっしゃった際は訪れてみてはいかがでしょうか。

それではまた次回!

追記

上の雲海の写真を見たところの茂みで初めて、インドネシアのカブトムシを確保しました!!(もちろん、すぐその場で解放しました。)

こっちのは上の角の先端は下向いてるんですね。

日本のカブトムシよりも足の力が強く、しがみつかれたときは滅茶苦茶痛かったです。。。

いつか、有名な3本角のアトラスオオカブトも探しにいきたいと思います。

タナトラジャ訪問〜その2 トラジャの家屋・墓

Selamat sore! (夕方付近に使う「こんにちは」です。)

今回は、前回に引き続き、スラウェシ島中央部に位置する、タナトラジャ地域の文化についてご紹介します。

今回もお墓(人骨あり)が登場しますので、苦手な方は絶対に以下を読まないでください。

まずは、ケテ・ケスという場所にある、タナトラジャの伝統家屋・トンコーナンについてお話ししていきます。

これがトンコーナンの家です。外観でよく使われる模様は、水牛と鳥で、水牛は神聖、鳥は権威と平和を象徴しています。

外観はカラフルなパターンによって彩られているのですが、色にも意味があり、黒は悲しみ、黄色は祝福、白は純粋、赤は血(勇敢)を表します。

この集落、リーダーの決め方がなんと闘鶏!

勝った人が村のトップということで、鶏を売る人は責任重大ですね。

部屋の中はというと、リビング&ダイニングの部屋が真ん中に位置し、左右の小上がりになった部屋があります。小上がりの部屋は、片方が夫婦及び子どもの部屋、もう片方は祖父母の部屋です。子供は17歳を過ぎると(結婚すると?)外に出ないといけません。

ちなみに、現在であれば普通の家屋なら70万円弱で建てられるそうです。

タナトラジャは家だけでなくお墓もユニークです。

代表的なお墓としては、岩に掘って埋めるパターン、崖の洞窟に納めるパターン、地面に埋めるパターン、そして、キリスト教徒のお墓があります。

時代とともに移り変わったようですが、洞窟に入れていた時代から、岩窟になり、そして、現代ではセメントのお墓(家風)に移行していきました。ここでは、一番目と二番目のお墓をご紹介します。

それでは、レモと呼ばれる岩窟墓から。

このレモ、岩に穴を掘ってご遺体を納める方式です。小さい穴はお一人で、大きめの穴は一族で使用します。人形(タウタウ)があるお墓が社会的ステータスが高い人のお墓です。

写真だと伝わりにくいかもしれませんが、一番上はかなりの高さに納められています。

目測ですが、高さ10m以上はあったはずです。なぜこんな高いところに納めるかというのは埋葬方法に関係しております。この地域では今でも火葬にせず、ご遺体はそのまま(というか病人扱い)お墓に納めるのですが、その際に生活に必要な?装飾品等も一緒に埋葬されます。

このため、位置が高い方が一緒に埋葬される装飾品が盗まれにくく、かつ、動物にもご遺体が破壊されないとのことでした。

悩ましいのが、あくまで病人ですので、2~3年に一回はお墓を開き、ご遺体を取り出して(降ろして)、服を変えて綺麗にしてあげなければいけないということです。しかも、その際にまた水牛(1頭約30万円)を捧げなければならないのです。どんだけお金かかるんでしょう。。。

一番古い岩窟墓は約700年前のものだそうですが、この写真に写っているので一番古いのは300年ほど前だということでした。

次はロンダという場所にある洞窟墓(エロン)です。

お墓が木の彫り物なのですが、モチーフは水牛、豚、そしてボートの3つがあり、それぞれご遺体が男性、女性、そして独身とで使い分けられるようです。動物の割り当てに対して女性から多いな苦情が出てきそうですが、これが伝統だとのことでした。

ここ、至る所に髑髏があるんですよね。歩いていてかなりギョッとする場所でした。

いかがでしたか?

次回は日本でも有名なトラジャコーヒーの農園をご紹介したいと思います。

それではまた!

タナトラジャ訪問〜その1 ranbu solo

Selamat tahun baru! (明けましておめでとうございます!)

新年最初の記事は、先月訪れたスラウェシ島のタナトラジャ地方の文化についてのご紹介です(全3回でお届けする予定です)。

但しこの地域、かなり特殊な死生観を有しており、写真もある程度は配慮してアップしておりますが、必然的に刺激の強い内容となっております。動物の亡骸やミイラが苦手な方、絶対に以下の記事は読まないでください。

スラウェシ島は、首都ジャカルタのあるジャワ島の東に位置し、ジャカルタに一番近い南の街マカッサルまで、ジャカルタから飛行機で約2時間強です。タナトラジャはスラウェシ島のほぼ中央にあります。(但し、州はマカッサルと同じ南スラウェシ州です。)

タナトラジャと言っていますが、日本では「トラジャコーヒー」の産地と言った方がわかりやすいかもしれません。

コーヒーの生産地ということからも分かるように(コーヒーは、基本的に赤道近辺の標高500m~2500mの高地で生産されます)、タナトラジャは山の中にあります。

マカッサルからは交通手段が車(バス)しかなく、夜行バスに揺られること8時間、ようやく目的地に到着します。それにしても、乗った夜行バスはスピード出し過ぎです。インドネシア人の子どもは吐いてましたよ。。。帰りなんか飛ばしすぎて、朝5時~6時到着予定が3時過ぎに町外れのバスターミナルで下ろされてしまって途方に暮れました。

タナトラジャはキリスト教徒の町なのですが、土着文化が色濃く残っています。

一番の特徴はなんといってもその死生観です。この地域の人々にとっては、厳密には「死」という概念が存在せず、いわば病気のようなものだというのです。

現地で知り合ったガイドの方にお願いして、一軒のお宅を訪問させていただきました。

中に入ると、一室に棺が安置されてあります。ただし、中にいらっしゃるのは15ヶ月前に亡くなられた方です。。。

この地方では、死者はまずミイラにして自宅で過ごします。そして、家族は、彼らを病人として扱うため、部屋に入るときは挨拶をし、食事も毎日準備します。

また、別の一室には、同じくミイラとともに、生前の姿を模した人形もありました。

 

この人形は全員が作るわけではなく、生前の社会的地位が高かった人のみに作られるそうです。

ミイラと生活することで衛生面が気になるところですが、昔はハーブで消毒して、パイナップルの葉で巻いていたそうですが、今では病院でミイラにするための処理を全て行なっているとのことで、訪問した際も全く匂いはなかったです。

ミイラにする理由は主に2つだそうで、1つは単純に「死」を受け入れられないから。

もう1つは一気に現実的で、すぐに葬式費用が出せないから。ただし、のちに述べますがこの葬式費用というのが笑えない金額なのです。

私が訪問した際にも、運良く(通常は7~10月に多く行われるようです。)ある集落で葬儀(rambu solo)が行われていましたので、その一部に立ち会わせていただきました。

一部と言ったのは、葬式自体は4日間にわたって開催されるからです。

初日は、ご遺体を御輿(小さい家みたいな形)のように担いで村を回り、式場に移動します。

二日目は村中の人(2000人~3000人は来るらしいです。)が集まって、歌と水牛を死者にお供えします。

三日目は、葬儀を手伝ってくれた人々にお返しをする日。

最終日の四日目にようやく棺をお墓に納めます。

この地域では、水牛が死者を天国(puya)に連れて行くと考えられています。ちなみに地獄はないそうで、どんな悪いことをした人も天国に行くそうです。

このため、葬儀では水牛を捧げます。その数およそ20~24頭。そしてこの水牛、普通のものでも一頭約25万円します。

これが普通の水牛ですね。

そして、この地域ではツートンカラーのマダラ模様が貴重とされており、その額は時になんと一頭1000万円近くになるそうです。

マダラ模様の水牛、初めてみました。家より高い水牛なんて・・・ガイドさんは冗談で「ランボルギーニ」と呼んでいました。

以上の通り、葬儀には、水牛を揃えるだけでも最低500万円はかかるのです。(他にも豚も供物として捧げたり、死者用の御輿を作ったりと色々かかります。)

日本人ですら厳しい金額ですが、平均月収が約3万円といわれるインドネシア人にとっては比べ物にならないくらいの負担です。道理でミイラにしてまで時間稼ぎをするわけですね。。。

ちなみに、この葬儀費用は日本で言う喪主だけでなく、親族全員で負担します。

この日は運良く?、4日間の中で最も衝撃的な、水牛を捧げるシーンでした。

まずは親族の各代表が集まり、水牛の配分を決めます。先程20~24頭を捧げると書きましたが、その全てを使者とともに葬るわけではなく、だいたい半数は教会や病院、別の村に寄贈し、売ったお金で活動資金に使ってもらうそうです。

この竹棒が水牛の数を表しており、親族間でどこに何頭の水牛を配分するかを話し合います。

この日は24頭中、12頭が死者に捧げられ、残りは寄贈されることになりました。

 

これが捧げられる水牛たちです。

この後、水牛の首を掻き切り、捧げます。

写真・動画はあるのですが、自主規制の対象です。ご興味がある方は私を見つけた際に仰っていただければお見せいたします。

手慣れたもので、大抵は上手に喉を切るため断末魔を聞くことはないのですが、中には下手な人もいて・・・。

供物とされた水牛は、革は剥いで売り捌き、肉はみんなで食します。ただし、食す量はその人の地位によって分配されます。

全体的な印象としては、実際に亡くなられてから相当期間が経過しているせいか、しめやかな葬儀からは程遠く、お祭りといってもいいような雰囲気でした。なお、逆に結婚式は質素だそうで。

一番印象的だったのは「我々は葬式のために生きている」と言っていたことでした。死者のために生きるなんて大いなる矛盾のようにも感じますが、彼らにとってそれは誇りであるようです。

いかがでしたか?

基本的にインドネシアでも現代ではご遺体をそのまま自宅やその付近で安置することは禁止されているようですが、この地域のみ特例で許されて現代でもこの風習を継続しています。

次回は、タナトラジャの伝統家屋とお墓についてご紹介したいと思います。

それではまた!

 

 

ジョグジャカルタ訪問〜その3 最終編

こんにちは!

いよいよ年末が近づいて参りましたね。

インドネシアは年末年始に対する思入れがそれほどないみたいです。キリスト教だとクリスマス休暇からそのまま年末年始への長い休みに突入するイメージがありますが、こちらでは大晦日年明けカウントダウンも一応あるものの、噂によると街中でみんなが好き勝手に花火を打ち上げてそれを眺めるといった代物らしいです。今年は観れないのですが、いつか機会があればその光景もみてみたいですね。

さて、今回はジョグジャカルタ旅の最終編をお送りしたいと思います。

前回、前々回とジョグジャカルタ近郊にある世界遺産をご紹介致しましたが、この街には他にも様々に魅力的な要素が含まれています。

その1つが、バティック。バティックとはインドネシアの伝統衣装を言いますが、ジョグジャカルタはその名産地です。

ジョグジャカルタにはマリオボロ通りという、バティックやその他服が安く大量に売っている有名な場所がありますが、あえてそこを避けて、骨董通り?に行き、その中でも工房を自前で持ってそうな大きめのバティック店を一人でふらっと訪れ、「作ってるとこ見せてくれない?」とお願いしてみると、快く承諾してくれました。

バティックは、ロウで絵付けをして、それ以外の部分を染める染め物です。(ロウの部分は染められません。)

まずは下絵から。

この下絵に沿って、この道具を使いながら小さいボウルに入ったロウで模様を描いていきます。

これがその道具。

これを使って器用に描いていきます。

隙間を塗っていく人も。

 

手書きのほか、スタンプを使うパターンもあります。模様は地域によって異なり、それぞれに意味があります。

描き終わると、今度は染色の過程に入ります。

何度も染色した後、干して乾かせば出来上がりです。

(もちろん出来たのは布なので、この後縫製に入るのでしょうが。)

市販のプリントバティックは1着500円くらいで買えるのですが、このようにハンドメイドは大変な手間がかかるので、販売時は5000円~15000円くらいの値が付けられます。値段は使用した色の数や描く模様の複雑さで変わるようです。

写真でお分かりのとおり、パートごとで分業されています。マニュファクチュアという懐かしい単語が頭の中で響きますね。

なお、このバティックという衣装、インドネシアでは正装なので、バティックを着ていれば大統領にも会うことができます。

 

 

話は変わりますが、ジョグジャカルタではいろんな乗り物があります。

これは観光用の馬車(ジャカルタでもごく一部でみかけますがほとんどないです。)

ベチャという、乗客が前、運転手が後ろで一生懸命自転車を漕ぐ乗り物もあります。

ちなみに、近代化したベチャは後がモーターバイクになっています。

 

また、訪れた日程がムハンマド生誕祭のお祭りウィークでしたので、ジョグジャカルタでもお祭りをやっていました。

ジョグジャカルタは特別州として、今でも独自にスルタン(地域の王様)が在位しており、軍隊もあります。

お祭りのパレードでは、クラトン(王宮)に所属する20以上の軍部隊がそれぞれの衣装を着て行進していました。

お祭りの前にやたら人が歩いてるなと思って話を聞いてみたら、お祭りの一環としてなのか、年に1回のウォーキング大会も併せて?行われていました。

なんでも、運動不足解消のために始められたそうで、多くの地元の方々が参加されていましたが、楽しいですかと聞いたら、着いた後お祭り会場で食べ物がたくさん準備されているそうで。。。

健康ってなんでしょうね。せめて月1回やればと思いますが。。。

夜は、クラトン(王宮)前で、ワヤン・クリッという伝統的な影絵?の生誕祭特別公演をみることができました。

(すみません、ここでのワヤンクリッの公演写真は撮り忘れてしまったので、下の写真は、庶民向けに夜通し行われる月例公演(クラトンの別の広場)でみた際の写真です。)

 

 

特別公演ということで、ジョグジャカルタのロイヤルファミリーもご出席されておられました。

 

この方はプリンセスだそうです。隣のおじさん達に聞いただけなので確証はないのですが。

ジープでムラピ山という中部ジャワきっての山に登りました。

この山、大きな噴火を繰り返しており、現在も山の中腹から上は立入禁止となっています。

形はとても美しい山です。

麓には噴火の被害を残した資料館があります。

ゲートを骨で飾るあたり、さすがです。

 

熱で溶けたテレビは噴火の恐怖を物語っています。

しかし、そんなシリアスな資料が並ぶ中でも噴火した煙で遊ぶ資料館。

インドネシアのこういうところは大好きです。

 

 

以上がジョグジャカルタで訪れた主な場所でした。

この他にも、荒れ狂う海に浮かぶ島に吊橋(渡るだけで1000円近く取られましたが、お兄ちゃんがつきっきりでおもしろ写真を撮ってくれました。SNS好きにはたまらないサービスかもしれません。)で渡ったり、

変な食べ物を食べたり、(インドネシア人は鳥を頭から足まできれいに食べます)

インドネシア人の意外な几帳面さをみたり、

色々な発見がありました。

ただ一番の発見は、中部ジャワ人の人の良さです。

みんなとても親切で礼儀正しく、誠実でした。(一部のベチャの運転手とマリオボロ市場の人は除きます。)

今後もインドネシア各地の情報をお届けしたいと思います。

ではまた次回!

ジョグジャカルタ訪問〜その2 プランバナン寺院群

こんにちは。

私は現在、期末試験という、もはや懐かしい響きのする代物と格闘しております。

なにが大変って、全部英語で試験を受けなければならないので、私にはどの科目も英語の試験でしかない点なのですが、それにまして大変なのが、「コロコロ」変わるというところです。

この国で一番適用するのが難しい文化は、私にとってはこの辺りです。。。始まる前から試験日が二転三転するのは当たり前、当日になっても期末試験の講義の最終日に使っていいと言われた資料が前日になって見てはいけないと言われたり、聞いてた試験日範囲と全然違うところから出題されたり…よく言えば「臨機応変」なのですが、私の頭に浮かぶのは「朝令暮改」の方です。

ビジネスを行ううえでも、最後の最後まで気が抜けないことだけはこの半年でよくわかりました。

さて、今回はジョグジャカルタ旅行・プランバナン寺院群編です。

プランバナン寺院群もインドネシアの世界遺産の1つです。

この留学中に、できればインドネシアある全ての世界遺産を訪問したいと目論んでおります。

プランバナン寺院群はその名の通り、複数の寺院から構成されておりますが、メインはロロ・ジョングラン寺院ですね。前回ご紹介したボロブドゥール遺跡は仏教でしたが、ロロ・ジョングラン寺院はヒンドゥー教です。ただし、プランバナン寺院群には仏教遺跡も含まれており、しかも建築された時代もボロブドゥールと同時期の9世紀頃とみられていますので、この辺りに多様な文化・宗教の共存の歴史をみることができます。

ロロ・ジョングラン(訳すと「細身の処女」だそうです。どういう意味でしょうか、訳しても真意が分からないのは私だけでしょうか。)寺院にはヒンドゥー教の三大神であるブラフマー神、ビシュヌ神、シヴァ神、そしてシヴァ神の妻であるドゥルガー神やシヴァ神の息子のガネーシャがそれぞれ祀られています。でも、見た目的に一番インパクトあるのはやはりガネーシャではないでしょうか。

障害を取り除き、福を招くという神様です。(この神様だけいればいいような気がしてくるのも私だけでしょうか。。。)

 

このロロ・ジョングラン遺跡では、ジャワ島には珍しい(バリ島ではヒンドゥー教が盛んなのと比べて)ヒンドゥー教徒の方々がお祈りする光景に立ち会うことができました。

そして、じっと見ていたら、「お前もやってみるか?」と言われ、そのままエセヒンドゥー教徒となり、お祈りを体験することができました。私が習ったお祈りの仕方はざっくり次の通りです。ちゃんと理解できていたか怪しいので、間違っていたらごめんなさい。

①座禅した状態で合掌した手を頭上にかかげてお祈り。初回だけお祈り用の花を持ちません。

②両手を下ろし、坐禅中の各膝の上にのせて黙想、

③赤または黄色のお祈り用の花を合掌ている両方の中指あたりでつまみ、再び頭上に掲げてお祈り。

④ ②と③を合計4回繰り返す(花なしバージョンも含めて5回)

⑤起立し、神様の足元に両掌と額を押し当て、自分の名前を心の中で呟く。

⑥神様の足元に置いていた水から少しだけ手に取り出し、すする。

⑥神様の周りをお祈りしながらグルグル回る。

これがめちゃくちゃ時間かかりました。なにが長いって、上記①~④を、安置されている全部の神様に行います。

我々がお祈りを捧げている間は、とても他の観光客が安置されている御堂の中に入れる雰囲気ではなく、後ろからずっとカメラで撮られたり見つめられてりしていました。

とても大変でしたが、日本では触れる機会の少ないヒンドゥー教を体験することができ、貴重な時間となりました。

(筆者は左端。他にも2名が参加しました。真ん中のインドネシア人女性はれっきとしたヒンドゥー教徒です。突如のお祈りのせいで、2時間近く非ヒンドゥー教徒の友人を外で待たせっぱなしにすることになりました。)

 

私は時間の関係で(主に2時間近くお祈りに付き合ってたせいで)ロロ・ジョングラン遺跡しか回りませんでしたが、お立ち寄りの際は他の寺院と比べてみるのも面白いかもしれませんね。

次回はジョグジャカルタ旅行の最終編をお送りしたいと思います。

ではまた次回!

ジョグジャカルタ訪問〜その1 ボロブドゥール遺跡編

こんにちは。

12月に入り、ようやく私の住むデポックでも雨季が本格化してきました。しかし、そもそも一般的にはジャカルタ付近の雨季は10月頃から始まると言われていましたので、これも異常気象の一つなのかもしれません。

インドネシアは熱帯性気候に属しますので、雨の降り方はいわゆるスコールのように、1~2時間で、ときに雷鳴とともに空から大粒の雨が襲いかかってきます。だいたい夕方なのですが、時によっては昼間に降ったり、はたまた一日中だったりといろんなパターンがあるそうなので用心しなくてはなりません。特に1月から2月にかけてがピークですので、この時期にいらっしゃる方はご用心ください。

さて、今回はそんな雨季が本格化する前の休みを使って訪れたジョグジャカルタについてご紹介したいと思います。今回はボロブドゥール遺跡編です。

 

ジョグジャカルタはジャカルタのあるジャワ島の中部に位置する場所にあります。

世界遺産であるボロブドゥール遺跡やプランバナン寺院群の最寄りの街としても知られています。

歴史と伝統の都という意味で、日本でいえば京都のようなところです。

ジャカルタからは電車(所要時間約8時間)でも行くことが可能ですが、今回は飛行機(所要時間1時間)で訪れました。

写真

ボロブドゥール遺跡は、イスラム教中心のインドネシアには珍しく仏教遺跡です。8世紀~9世紀頃に建築されたようですが、その後1000年以上に渡り密林と火山灰に埋もれ歴史から消えていたので詳しいことは誰にも分かりません。。。

逆になんで見つかったのかというと、ジャワ島がイギリスの植民地だった時代に知事として来たラッフルズという人が小高い丘と化していたボロブドゥール遺跡を発掘しました。

・・・暇だったんですかね?

(脱線ですが、インドネシアと植民地時代は法律としても切っても切り離せない関係にあります。この辺りもそのうちご紹介する予定ですのでお楽しみに。)

このラッフルズという人、世界最大の花として知られるラフレシアも発見し、その名前の由来となっています。

やっぱり暇だったんですね、知事。

このボロブドゥール、初めて見た感想は、(札幌の時計台を見た時と同じで)「思ったより小さい」でした。

歩いて見て回るだけなら1時間あれば十分でしたが、みな思い思いに写真(といっても、遺跡というより遺跡を背景にした自分の写真)を撮って過ごしていました。

全体は数多くのストゥーパ(卒塔婆)で構成されており、中には仏像が安置されているものもありました。

また、各回廊の壁にはブッダの物語に因んだ彫刻画が施されていました。

 

1つ1つのストーリーは残念ながらわたしには分からなかったですが、当時の文化度の高さに驚かされます。

1000年以上埋まっていたこともあり、現在まで修復作業が続いています。

ただ、修復後?とは思えないような彫刻画も散見されました。

 

 

もうちょっとパズルが得意な人がやるべきでしたね。。。

 

ボロブドゥール遺跡は早朝ツアーに参加して、朝日を頂上から眺めることをオススメします。もちろん頂上から見る朝日が綺麗だというのもあるのですが、一番の理由は人の少なさです。朝日をみるには敷地内にあるホテルのツアー(といっても、ただ敷地内に入れてくれて、終わった後に朝食ビュッフェを食べさせてくれるだけで、なんの案内もしてはくれませんが。)に参加する必要があるので、インドネシア人団体客が皆無という素晴らしい特典があります。

インドネシアの方々は写真が非常に大好きで、外国人(特に色白の)をみるとすぐ写真を撮ってくれと言われ囲まれ、そこに時間と体力をさかれますので団体客を避けることができるかはかなり大きな問題です。日焼けしすぎて現地人と間違えられる私はまだ一度も写真を頼まれたことはないのですが。。。

 

さて、ジョグジャカルタの旅ボロブドゥール編はいかがでしたでしょうか?

次回は、同じく世界遺産のプランバナン寺院群についてご紹介いたします。

それではまた次回!

フローレス地方の伝統儀式;theng hang

今日は、お世話になっているご家族に先週末招いていただいた、フローレス地方の伝統儀式についてお話ししたいと思います。

(注:血を見るのが苦手な方は決してこの後を読まないでください。)

インドネシアには13000を超す島があるので覚えるのが大変ですが、その島々で300を超える民族が独自の文化・言語を形成していますが、先のフローレス地方とは、世界最大のトカゲ・コモドドラゴンで有名なコモド島の近くの島です。

このフローレス地域には、theng hangという伝統儀式をジャカルタ近くのBekasi(近くと言ってもジャカルタ中心から電車で45分くらいで、私の家からだと90分はかかります。。。)の自宅で行うということで、今回お招きいただきました。

こtheng hangという伝統儀式は、ご先祖の方々との対話を行うもので、意味合い的には日本のお盆に近い気がします。

ただし、やり方が現代日本のそれとは全く異なり面白いです。

最大の相違点は、彼らが先祖と対話するためには、動物の「生き血」が必要だという点です。。。

まず、このような感じで、家族みんなで集まって先祖にお祈りを捧げます。真ん中のお父さんが抱えているのが、今回の儀式で用いられる鶏です。。。

このご家族はインドネシアでは珍しいクリスチャンなのですが、この儀式にはクリスチャンであることは関係なく、フローレス地方の方々は宗教に関係なく行うそうです。宗教以前から伝わる儀式なので関係ないとのことです。

 

一通りお祈りを終えると、この可愛い鶏が犠牲となり、生き血をお皿に流します(写真は撮ったのですが、さすがにアップは控えたいと思います)。。。

そして、一家の代表のお父さんが、血を眺めます。。。

何してるの?と他の人に聞いたところ、血を通して、先祖が今ここに来ているか、来ていたとして、何を伝えていたかを読み取るのだそうです。

ご先祖様に鶏肉を捧げ、その後家族で美味しくいただきました。(儀式の前には食事をしてはいけないそうです。)

ちなみに、鶏であることに意味はあるのかと聞いたところ、動物の血であればいいらしく、豚でやることもあるとのことでした。今回は「家の中で儀式をやるので、豚は無理でしょ?笑」と言われてしまいました。

日本の現代の風習からいうとなかなか直視するのも難しい光景ではありましたが、インドネシアの方々の先祖を真摯に想う気持ちが伝わってくる儀式でした。

色々な伝統文化を体験しながら、インドネシア人の心を学んでいきたいと思います。